リツエアクベバ

satomies’s diary

読んだ、読んだ

エデン「エデン」読んだ読んだ。コレでサクリファイス関連(現在分)読了。いやー、本屋に無いし、アマゾンでは出品者からの中古品の価格が2000円を超えてるし(本来の価格は¥1470-)、さあどっすっかな〜と思ってたとこで。今日、出先で本屋に平積みになってた。えええ???と思って後ろのページを開いて確認すると「第4刷 2010年5月15日」とある。できたてのホヤホヤを持ってレジに直行、帰宅後一気読み。
作者のtwitterのこの二つのツィート、すごく気になってた。読了後、即確認。

ここで出てくる書評を検索にて確認。ううむ。確かに、作者が困惑するのはとてもよくわかる。
しかし一冊の本の感想を書くという行為。学校でさんざんやってきた「読書感想文」ってのをどうやってきたか、とか思い出す。あらすじ書いて、それから自分に一番残ったものは何かってのを書く作業だったようにも思う。問題の書評はその、自分に一番残ったものは何か、ってとこに走りすぎたんだろう、ミスを犯すほどに。
あらすじを書くってのは、この本読んで自分に一番何が残ったのか、ってことを出すための準備のようにも思う。ストーリーを前提として、まずその世界をちょびっとだけ共有してもらって、それでねその中のね、ココ、ココなのココ。ココがすごかったんだ、って。そういうのを言いたいってのがそもそも読書感想文なのかもしれない。で、「書評」ってのと「読書感想文」ってのは違うんだろう。よくわかんないけど。でもとにかくこの作者が混乱した「書評」は「書評」じゃないと思う。だって作品読まないでアレ読んだ人が思う「エデン」って、近藤史恵の「エデン」じゃないよ。
まあもちろん、わたしがぶつくさ書き留めておくものも「書評」じゃない。「サクリファイス」イコール石尾ラブ、ってなことに気づいたわたしもかなり偏ってると思う。「エデン」でも当然石尾ラブ続行モード。ラブ石尾は「エデン」の中で名前こそ出てこないものの、その影はちらちらする。白石誓が彼を思うとき、わたしは一度本を閉じ、そしてわたしも石尾を思う。
サクリファイス」とその外伝、そして「エデン」。わたしにとってはこれは人の生き方を描いた作品だという位置づけ。その生き方というものをのせていくのに、自転車のロードレースが選ばれたのだという理解で、その記述がリアルならリアルなほど、その「生き方」というものに帰っていく。だから好きなんだと思う。
「エデン」は「サクリファイス」に比べると、物語が大きく展開していくまでの分量が長い。ただし。読み終えてからの再読で、要所要所の世界がまた、際限なく広がっていく感じがする。できたてホヤホヤの第4刷に思いがけなく早く会えてうれしかった。