リツエアクベバ

satomies’s diary

要はタイプとしてツボってるんだなと

昨日更新分の続き。リストに上げた外伝の2つを読破。
サクリファイス」の世界にどっぷりとはまっている状態。検索かけていろいろな感想を読んだり。ふむ、自分の中に動いているものとはちょっと違う。自転車競技の世界がどーたらとか、ミステリー作品としてどーたらとか、なんだかそういう文章を遠いものとして読む感じ。自分の中に動いている感覚とちょっと違う。
じゃ、それなに? ああわかった。この小説の登場人物である「石尾豪」という男性、ドンぴしゃストライクでタイプだ。要はそういうことなんだな、と思う。石尾というフィクションの登場人物を思って、せつなくてせつなくて仕方がない。もっともっとこの作品の外伝が読みたいのは、もっともっと石尾に生きていて欲しいからだ。
似たような感じは「ランボー最後の戦場」を見た後にもあった。車で移動中にサントラ聞きながら、ランボーの人生思って涙ぐんでたんだぜ? アホみたいだけどホントだから仕方がない。この時の感覚と似てる。
ストイックな孤高のヒーロー。ひとつのことにやたらに秀でているけれど、その他のことにはたいして興味も無く、目立ちもしない。ああそういえば「サクリファイス」の石尾豪は、「山猿」と言われていたのだった。わたし個人の中ではランボーと石尾には共通点ありすぎ。
サクリファイス」の石尾豪は、自分の周囲の動きや展開に対して、実に細かく見て把握している。その、実に細かく見て把握していることが、周囲にはたいして気づかれない。彼が収集したその情報は、必要な時に的確に生かされる。ゲリラ戦におけるランボーの視線みたいだ。
サクリファイス」外伝のひとつである「レミング」では、石尾は二度、自分を陥れるための罠を仕掛けられる。その罠に対して「オレに罠をかけたなああああ」みたいなことにはならない。そうした出来事の本質を理解したとき、石尾はミッション成功につなげていく。しかも自分自分オレ様オレ様ではないミッション、そのミッション成功こそが彼にとっては重要になる。ばんばんばん、だからもう、かっこよすぎ。
ネット上で「サクリファイス」の結末に現実感無さ過ぎ、って感想があった。まあ、そうくるかあああという結末だったので、それを言うのは理屈ではわかる。でも、「だって石尾だもん」と恋をするのは許されるだろうと勝手に思う。コミック化されているそうだけれど、これはパス。実写化も全く望まない。だって、体型がどうにも好みから外れそうだから、画像映像としての石尾には会いたくない。という、実に勝手な片思い。