リツエアクベバ

satomies’s diary

わたしはなんで泣いたんだろう

大型連休中の3日、横浜で開催されたパレードを見に行った。

ザよこはまパレード

横浜ワールドポーターズのちょっと先、赤レンガ倉庫近くの路上で、娘と夫と立ってパレードを見てた。ガードレール近くに簡易椅子を持参で見に来ていた60代くらいのご夫婦らしき方がいらした。そのご婦人がちょっと振り返って娘を見て、「こちらへいらっしゃい」とご自分の近くに引き寄せた。後ろで立っていた状態よりも格段に視界が開けた娘は、パレードに向かって手を振り、喜んで見てた。わたしは「すみません、ありがとうございます」とご婦人に頭を下げた。
娘を見ながら微笑んで、言葉かけをしながらパレードを観ていたそのご婦人は、すっと立ってご自分の用意された簡易椅子に娘を座らせた。「あ、いえ、だいじょうぶですから」とわたしは声をかけたけれど、そのご婦人は微笑んでわたしの肩にそっと手を触れて、「いいのよ、だいじょうぶだから」とおっしゃった。そのご婦人の柔らかな表情を見て、娘に立ちなさいとは言えない状態になった。その方がいいのではないかと思った。娘は素直に喜んでパレードを観てた。
ご厚意に甘えながら、パレードを観ていて。わたしはそっと夫に耳打ちした。「ゴメン、お願い。ジュースかお茶のペットボトルを買ってきてくれない? お礼にお渡ししたいから」。夫はうなづいて、そっと列を離れた。
夫がお茶のペットボトルを持って帰ってきた。わたしはそっとご婦人に手渡しながら、「ありがとうございます、気持ちです、受け取ってください」と言った。「あら、何を言ってるの」とわたしとご婦人とは、お茶を間にちょっと押し問答になった。ありがとうございます、ホントにほんの気持ちなんです、受け取っていただけたらうれしいです、何を言ってるの、たいしたことじゃないじゃないの。
その押し問答のいくつかの言葉の中に、こんな一言が加わった。「まだお若いおかあさん」「こんなにきちんと育てていらして」。どういう流れでその言葉が出てきたのかよく覚えてない。なんか突然のようにその言葉がわたしの耳にまっすぐ届いた。全然”まだお若いおかあさん”じゃねーよ、充分もうババアだってと思いながら、「こんなにきちんと育てていらして」という言葉が、わたしの中のなんだか柔らかい部分に見事に突然ぶち当たったような感じだった。わたしにとっては、なんだか突然の事故のように。
ぶわっと熱いものがこみ上げてきて、気がついたらわたしは、片手で自分の顔を拭っていた。あふれてくる涙を指で押さえてた。
自分にとってはとても当たり前の日常になっていたけれど。知的障害をもつ子どもを育てるという不安からのスタートだったよなあ、と。ああ、この子は育ったんだなあと。いや、言葉にしてもやっぱりよくわからない。なんでわたしは泣いたんだろう。
パレードで、キッズの出し物が終わって、最前列のグループがいくつか列を離れていった。ご婦人の隣のスペースが広く空いた。そこにわたしはパレードのパンフを置き、「ちぃちゃん、こっちに座りなさい」と声をかけ、また再度、ご自身の簡易椅子を娘に渡していただいたことにお礼を言った。「あら、じゃあ、おかあさんがおかけになる?」と言われたので、「いえ、まだ若いですからわたしはだいじょうぶです」と笑って言った。ご婦人はうふふと笑って、「じゃあ」と、やっとご自身の簡易椅子に座ってくださった。
パレードで、いくつものグループが目の前を通り過ぎていった。わたしたちの前にグループが現れると、ひとつひとつのそのグループに拍手が送られた。率先して手をたたいていらしたのは、そのご婦人だった。教えられるようにわたしもたくさん手をたたいた。娘も盛大に手をたたき、グループの演舞の数々に手を振った。
とても見やすい状態にしていただいて、そこで2時間近くパレードを観ていた。そろそろ終盤にさしかかっている頃、娘が振り向いて「おにぎり」と言った。ああ、お腹が空いてきたんだなと思って、夫に「行こうか」と言った。「ちぃちゃん行くよ」と声をかけて立たせてから、きちんとご婦人の方を向かせて「ありがとうございました」と頭を下げた。ご婦人のお隣にいらしたお連れの方にも「ありがとうございました」と丁寧に頭を下げて、お先に失礼させていただいた。
列を離れて「さあ、行こうか」と歩き出した時に娘の手を見ると、おせんべいの小袋が3つ。歩きながらがりがりと食べた。とてもとてもおいしかった。