リツエアクベバ

satomies’s diary

入試で学ぶ

入試後からずっと午前授業、早い帰宅。今日は昼飯食ってから車で外出。車内でもろもろ聞く、もろもろ話す。教室は、さあ入試は終わったぞモードのスイッチが入ってるようだけれど。終わったぞテンションと発表を待たされている不安モードが混在しているような感じ。
入試の数学の話が出る。難しかったのなんのと周囲では言っていたけれど。それは神奈川の公立入試の数学の「確率」のところがここ数年ずっと定番問題になっていたこと。そしてそれが今回変わっていたこと。そのことでびっくりの衝撃を引きずって、それ以外の難易度の高い問題でがらがらと崩れた人が多かったこと、というのがまあ、基本的なことのようだと。
この定番的傾向が今回変化するかもってのは、息子にとっては想定の範囲内だった。塾で教材会社が出す大量の予想問題をこなしていたが、そしてその「確率」の問題は定番的傾向の路線にあったのだけれど。書店に積み上げてあった「神奈川高校入試の予想問題」も購入してトライしていて。実はこの、書店で買ったものに関してはこの「確率」の問題に変更が存在してたんだ。これに対して息子は「これ、定番じゃないから意味無いじゃん」と言ったんだけど、「いや、あえて変更して問題作成してるってのは、変更の可能性アリとこの業者が踏んだってことで。商品作るときにそれトライするってのは、業者にとってある程度の勝算があるってことなんじゃないか? それはまともにやってた方がいいぞ」と。実際この入試が終わってみれば、この業者の勝ちということなんだろう。
数学の入試の問題を父親に見せたときに。責めるというのとはちょっと違うテンションではあったけれど、夫はからからと笑い「この問題もこの問題も、オマエにはできたはずだ」と。「周囲は難しかったかもしれないが、この問題はオマエにはけして難しくはなかったはずだ」と。「この問題だったら、オマエが目標としていた満点近くってのは、充分取れたと思うぞ?」と。
おとうさんがああいう風に言ってたよね、と、息子が話し出す。「時間が足りなかったんだ」と言う。ふむ? なになに? 解いた後に再度見直している時間があったなら、確実に正解を出せたはずの問題だったと。ただね、あの日は模試じゃなかったんだ、入試だったんだよ、と。
一度全部問題を解いてから、難易度の高い問題を見直すのではなく、「自分にも他者にも確実に点数が取れるはずの問題」の見直しに全ての時間を使ったのだそうだ。確実に取れる点数を絶対に確実に取る。それはその日が模試じゃなくて入試だったからだそうだ。チャレンジ度が高くて、問題に挑戦するのが目的の模試だったらば、難易度の高い問題の方に時間を使っただろうと思う。で、おとうさんが言ったようにやっぱりあの問題もあの問題も、ちゃんと解けたような気がするんだ。でもね、あの日は模試じゃなくて入試だったんだよ、と。取れるはずの点数を絶対に落としちゃいけなかったんだ、と。
この話が出てくるのに数日がかかったのか、と思った。でも、この子の判断は正解だと思った。自分が大きな失敗をする可能性をつぶすことを選んだのか、と思った。時々出してた大きな失敗は、出なかったんじゃない、出さなかったのか、と思った。
この子は入試という経験を学んだんだと思った。結果は合格と不合格の二つかもしれないけれど、これだけ学んでればもう上出来じゃないか、と思った。