はい〜、今年度一個目の実習、終了っと。で、反省会。所長含めた現場の職員さん3名と、学校側からは担任と進路専任の教員二名、そして本人とかーちゃん。担当ケースワーカーさんは所用にて欠席。
指導員さん側からの報告。実習期間の中で、「これがわかってこれがわからないのか、これがわからないのならアプローチはこうしてみよう」等の話アリ。いろいろなるほど。「きつく言い過ぎて泣かせちゃったので」「翌日はその反省もあってアプローチを変えた」等の話アリ。これもなるほど。
かーちゃん側から、家庭での様子等の報告。これは上記リンク二つ(コメント含む)で頭が整理されていたので報告はラク。今回の現場を実習先として選択した理由、本人が不安を見せた家庭での状況、その不安に対して一貫して「○○へ行きます」と言い続けた母側の理由、「わかりません」等の現在の指示が自分には理解できていないという意思表示が本人の課題だと思ったことなど。
話しながら、ちょっと(そうか)と思ったこと。「本人の不安はわかっていたけれど、そこを本人がきちんとケリをつけて欲しかったこと」という内容のことを話しているときに、指導にあたった方が深くうなづいて聞いていてくれたこと。お世話になっている側という意味ではおこがましい思考かもしれないが、短い実習期間の中で起きることに対して途中でがたがた言わないということは「支援に対する支援」のようなものかもしれない、とも思った。
また。「今回の実習で勉強になったこととして」と前置きして話したこと。学校卒業後の本人の生活として、どんな作業に携わっても、そこに関わる年数、一年なら一年、三年なら三年、その年数を積み重ねて得ていくということに対して意識をもつことは大事なことなんだと思ったということ。これは娘を実際に入れた現場で、目に見える形として利用者さんの年数がそこに見えたということがあるからかもしれない。
ここの団体でもっている作業所は3つ。通常の実習は三カ所をぐるっと回っていく方法だということだったのだけれど、今回はわたしが希望して一カ所の実習になった。ここの団体を知っているつもりではあったけれど、実はその、選択した今回の作業所は一番レベルが高いところだった。それはここの作業所を主として担当している指導職員さんの「厳しさ」もまた、レベルが高いところであったということだったと思う。わたしとしては単純に、他の二つの作業が手先の細かさを要求される部分を感じていたので避けただけだったのだけれど。ははは、わからなかったけれど、それで娘にキツい思いをさせたところではあったけれど、結果的には得るものは大きかったのだと思う。積み重ねていく能力を「信じている」部分も、その指導職員さんに感じるものはあったから。要は職人さんの親方的なところがちょこっとあるとも思う。
それは進路専任の先生も感じるところはあったようで。「現在のあの製品を今の利用者さんたちは最初から作れる能力があったのでしょうか」と質問。「いや、最初はもうひどいもんでしたよ」と、まあきっぱりはっきりと、歯に衣着せぬという言葉がどんぴしゃのぴったり。しかし逆に「最初はもうひどいもん」をあれだけのものにしたのか、という感嘆のムードを進路専任の先生と担任の先生に感じたなあと思う。進路専任の先生がすぐに続けてウチの娘はあなたに預けたらモノになりそうか的なことを聞いたのが、ちょっとおかしくもあった。なんかこう、自分とこの生徒を大工だのなんだのに丁稚に出そうとしている学校の先生みたいだった。それに対して「わかりませんね」と言っちゃうこの指導職員さん。ホントに生やさしいことは言わない方だ。でももしもこの方に娘をゆだねる選択をすることになったとしたら。「わかりませんね」の可能性に対してこの方は「やる」んだろうなと思った。ボロクソ的報告だったけれど、その片鱗はしっかり感じ取れる報告をされたとわたしは感じたなあと思う。でも選択は本人、まだまだ選択肢を具体的に「見せた」のはひとつめ。
しかしなんつーか、この主としてたずさわってくださった方は、もう、歯に衣着せぬというか、本人の欠点に関してはボロクソ。まず本人のできることを認めよう的な教育の現場、とは違うタイプの発言。なんつーか、ねえ、わたしは慣れたってことなのかってとこだし、付き添いで入った担任も相手と話して理解はしていたけれど、進路専任の先生はちょろっと痛かったご様子。
さて今回の実習。本人がよく知っているところ、そこを本人に選択肢として与えるための経験の機会。また、現場の方に「親子のペアとして知っている人だけれど、利用者として見たら全く未知の本人情報」を実習としてゆだねることで知ってもらうこと。母にとって実習先の選択としての理由であったこの二つ。この二つを今回の実習でクリアさせていただくことができました、ありがとうございました、と丁寧に感謝を述べて反省会終了。
帰りに近くのスーパーに寄ったんだけれど。すれちがった女性にものすごく不自然な視線でしげしげと眺められる。(なんだぁ?)と思ったけれど、すぐに(そうか)と思う。(そうか)と思ったら、すぐに思い当たる理由を見つけて(なんだ)と思う。ここの近くはねえ、団体で3つ、作業所単位で5個、知的障害のある方が通所する施設があるんだよね。そういう方がこのあたりを歩いているパーセンテージがすごく高い。お店や町も慣れているかもな、と、思った。