リツエアクベバ

satomies’s diary

ぐわわ、緊張したぜ

実習開始/2009年6月1日更新分

娘、実習の日々。今日は一日どきどき。緊張した、ものすごく。
昨日の帰り、頬に涙の跡があった。迎えに行った時の表情は固く、「あしたおやすみ?」と聞いてきた。夕刻から夜、何度も「おかあさん、がっこう?」と聞いてきた。今朝は5時に娘に起こされた。わたしを起こして「おかあさん、がっこう?」と聞いてきた。実習ではなく学校に戻して欲しいという訴えだ。
ぐらんぐらんと気持ちは揺れた。でもわたしは「学校は行きません、○○に行きます」と娘に答え続けた。つらいのか。つらいなら実習が終わった後にそこを選ばないという選択を自分でしなさい。つらいのか。でもつらくても、たった一週間の途中で投げたら経験が挫折のままで終わってしまう。つらさに自分でケリをつけてきなさい。
わたしは厳しいかーちゃんなのか。実習二日目で泣かすような指導するのなら、事前にそういう話をして欲しかったとは思った。ただ、甘やかされた実習で選択するのもいいことじゃない。葛藤ぐるぐる。
今日は一日担任が付き添う。昨日の夕刻、状況を担任に電話で伝えた。本人が不安な様子を見せていることも伝えた。「あしたは先生が来るよ」と言ったら、ぱあっと顔を輝かせた。本人はそのことを支えに明日を考えている様子。ただし先生はあくまでも普通に接して欲しいと。本人が見せる顔以前に先生の情緒が顔に出るような対応をしてくれるなと伝える。
担任が一日付き添い。ただし、担任が娘に直接指導することは控えてくれと言われている。その場所の中に「いるだけ」。担任も利用者さんたちが行う工程のひとつを「その場所で行うだけ」。「同じ場所で様子をうかがうことができるだけ」。先方からの指示でそういう事前の打ち合わせ。
朝からどきどき。電車を使わず、車で送る。行かせること以外は思いっきり甘やかす。わたしの選択に対してわたしが感じているうしろめたさもある。
車を近くのコインパークに停めて、歩いていく。覚えている道を娘がすたすたと歩く。振り返りもせずに入っていった。ちぃちゃん、ちぃちゃん、ちぃちゃん。いってらっしゃい。万感の思い。
迎えに行く。担任が出てくる。「今日ちぃちゃんに会って。なっんでもない顔でさらっと対応されましたよ」。…、やっぱり。「昨日、指導で泣かせたというお話はお聞きしました。今日同じ工程をやらせてたんですよ。『この工程で昨日泣かせた』というお話もお聞きしました。でね、その工程、今日出来てるんですよ」。アンタって子は、アンタって子は、と、思う。
「『ちぃちゃん、楽しい?』って聞いたんですよ。そうしたらね、ぱっと微笑んで『たのしい』って答えるんですよ」。
指導員の方とちょこっと話す。まあ、なんつーか、娘を泣かせた相手だな。コノヤロー、コノヤロー、コノヤロー。
話を聞いて(そうか)と思うこと。娘を本気で「入れようと思うシュミレーション指導」をしているんだな、とうかがえること。そうかあ。あとは明日の実習後の反省会で出てくる話だろう。
今日もお世話になりました、さようならと帰る。二人で歩きながらの帰り道、「ちぃちゃん!」と声をかける。娘の顔を見ながらゆっくりと「あかい?」と聞くと、「あっかいくるまでおむかえ!」とうれしそうに叫ぶ。そだよー、あそこの駐車場に停めてあるからあかいくるまで帰ろうね〜〜〜。娘、「あっかいくるま!」と手をたたく。「おかあさん! たのしかったよー」。もうオマエ、泣かせてくれるな。たまらんよ。
ほんっと、一日緊張したけれど。自分の選択にぐらんぐらんと来たけれど。ケリつけてくれる子だよと思う。
明日は緊張無く出せそう。明日でここの実習は終わり。まだ別んとこの実習の予定も入ってて、進路先決めるのはまだまだ先なんだけれど。そして本人に決めさせるつもりなんだけど。もしもアンタがここを自分で選んだとしたら。かーちゃん毎日心臓ばくばく、だろうなあ。ことと次第によってはコイツだったらあり得る。こわいなあ。