リツエアクベバ

satomies’s diary

生存確認とかインフルエンザとか長崎とか

5月8日に更新。でもってたまたま同日の5月8日にたこぽんが自分とこのはてなに「死にたい」エントリをあげる。あらま。首つり用のロープまであるそうで。まいるぜ。自分がくだんねー日記をあげてる間にたこぽんが死んじまったらたまらんと、その日から更新できなくなった。
ちょっと前になんだかんだと話題になっていた、はてなのサービスでの「最近の活動」とかいうリスト。

satomiesさんの最近の活動

たこぽんみたく「死にたい」エントリの後、心配する人がたこぽんのこのページを開けば、そこに更新があればとりあえずはてな上では「生存確認ができる」機能みたいなモンにもなるんだな、とか今回思った。でもこのページ上のたこぽんの動きも止まったね。彼を心配する方からメールをもらったということもあるのでとりあえず。「今日もたこぽんは生きてるよ」。今日も生存は確認できました、と。
北村想さんの文章で、「うつ病の希死感は生理現象のように襲ってくる」という言葉があって。端からの理屈なんてものはそこになんもできねーものよ感もある。生存確認なんてものは「今日、何食った〜?」なんてとこ。で、今日も彼は生きてる。ああ、よかったなあ。
それと。インフルエンザ騒動。息子も娘も毎朝毎朝、検温して体温をカードに書き込んで保護者確認欄にハンコ押して学校に持たせる。二人ともこの検温の習慣に慣れちまった。
周囲の高校生の子どもをもつかーちゃんたちから、騒動当初の「横浜市の高校生が感染か(結局陰性)」の大々的なニュースの陰の悲劇をちょこちょこ聞く。陰性がすぐに発覚してからも、留学した生徒の潜伏期間が終了するまでの休校が取られたことで、この高校はこの期間中の部活の公式戦を棄権することになったと。高三生徒の「最後の大切な試合」が棄権に終わったという「悲劇」だったと。また、学校には心ない苦情も寄せられているとのこと。こうした経緯はこの学校のサイトに「校長から」として文章としてあげられていることを聞き、閲覧。痛みや思いやり、メッセージ等が伝わってくる文章で、校長先生がいい先生だなあと、その文章から思う。
息子が昨日、2泊3日の修学旅行から帰還。行き先は長崎。原爆資料館の見学に、数人単位で語り部さんの話を聞いたそうで。「おかあさん、手を見せてもらった」と。片手の指の数本が変形していて、そしてその部分が彼によると「赤い」とか「黒い」とか「赤黒い」とか。資料館の展示だけではなく、事前学習のビデオだけではなく、生きた体験者の話を聞く経験。戦後の年数から言えば、この経験をできる中学生もあとどのくらいの年数でいなくなるんだろうか、とか思う。
修学旅行先が京都奈良ではなく九州ということで、保護者の中では「中学生のときに京都奈良をということも大事なんじゃないか」という声もあったけれど。「歴史を目の前で見る京都奈良と、原爆資料館語り部さんに会えた長崎と、どっちがよかった?」と聞くと、なんだかものすごく神妙な顔で「長崎」と答える。そうか、と思う。
学校は、管理会社を通じて修学旅行中、毎日保護者の登録アドレスにメールを入れる措置を取った。「全員無事○○に出発しました」という短文に、ものすごく価値があった今回の修学旅行だったと思う。実際「全員無事」という言葉に安心したものね。