リツエアクベバ

satomies’s diary

オヤジってのもツライと思う

なんだかキッツい話だなあと思ってたコト。fuuuuuuunさんの別アカウントんとこでコレにふれててふむふむ。

assouの日記 2008-12-26

出てくる話はコレとコレ。

いやー、オヤジってのは大変だと思う。家の中のすったもんだを日々見ながら、自分ちで起きていることがマイノリティなんだと強く認識してしまうような「社会」に毎日毎日出ていくわけだから。
動いている職場にとってその職場の中の一人の家の中の「障害」ってのは、それは個人のことであって。ウチ引きずってぐわわとか思ってたって、そんなこと職場の人間にする話でもあるまいし。「まったくさー」なんてこぼしたくたって、ドン引きされるならそんな話をするだけで疲れちゃうだろう、なんてことも思う。
fuuuuuuunさんの「assouの日記」で書かれていること。こういう「人んちってどうだ」って情報みたいなのは、母親は入手しやすいんだよなと思う。子ども連れてそういう子がいるようなとこに行く所用がなんだかんだたくさんあるしね。しゃべったりすることもあるだろうし、しゃべらなくたってなんとなく観察しあったりして情報を蓄積していくようなとこもあると思う。
母親はそうやってどこか同じ群れみたいなとこの近くに行く機会はあるのに、オヤジってのはばらばらと一人一人が離れ小島みたいなとこはあると思う。
「あなたは仕事に行けるからいいわよね」って言われても。んじゃオレが仕事に行かなくてどうやって食っていけるんだ、忙しいのは帰りが遅いのは職場が大変だからなんだよ、その大変大変って波を繰り返しかぶって越えて仕事ってのは成り立ってるんだよ。って思うけど、日々頑張ってるニョーボを見てるからやっぱり言えないっていうオヤジがいた。だからそういう時に言われっぱなしになるのも自分の仕事なんじゃないかと。たださー、言われっぱなしもツライのよ、って。
でもさそんなこと、そこで誰かに話せるわけでもないって人は多いんだと思うんだよね、父親。同じような離れ小島にいる同じような経験をしている人とは遠いとこにあるんだよな、と。その離れ小島と離れ小島を隔てているのは、障害なんてものが簡単には見えてこない大海のようなものかもしれない。
町田おやじの会はすごいよな、と。遠隔地の人でも(ああ、あそこでオヤジたちが集まってるんだ)みたいなことを、町田おやじの会の人たちが作った本で思ったりするんだろうと思う。離れ小島と離れ小島をつなぐ小さな飛び石のようなものかも。

町田おやじの会

ウチのオヤジたちは。地域のダウン症児の親のグループで、年に一度、夏にバーベキューをやる。百人規模参加の、炉を何個も使う一大イベント。焼き肉だの海鮮焼きだの焼きそばだの焼き鳥だのタコヤキだの、オヤジたちがせっせと火を起こし、せっせと焼いてくれる。グループ分けされたオヤジたちは協力し合って、そして食ったり飲んだりしながら人んちの子どもとオヤジの姿を視界に入れて。ばたばたするのを追いかけ回してるのもいるし、人んちの子をまとめてどばっと面倒見てくれる人もいるし、ちっちゃい子を見て、おっきい子を見て、仲間と楽しそうにしている自分ちのかーちゃんを見て。そんな光景の中でオヤジたちは知り合っていく。そういうのもオヤジたちにとっては小さな飛び石だったりするんだろうな。