リツエアクベバ

satomies’s diary

は〜い、とお返事

まず前置き。なんつ〜か、自分に緊張強いる文章を立て続けに上げたので、その反動で「やらかーく」書きたいの。それで「失礼」呼んでしまったらごめんなさい、と。
リンク入れたとこから、リンクもらっちゃったん。

障害児を育てている自分が思うあれこれ/つくね日記

リンクに「は〜い」とお返事して、反応するエントリ上げ。

S嬢さんのブログを知ったのは結構前。
俺はあまり自分の子の障害に関連したブログを読み歩くことがなかったんで、唯一、障害児を抱える親のブログとしてブックマークしてたところだ。

うおう、びっくらこく。どうも自分とこの他者からの位置づけってのが、自分自身でわかってないとこがあるんだな自分、と思う。
元々、ブログという媒体が世に出てきたんで、好奇心から手をつけただけのモノ。自分の生活はまあ障害系話題も入ってくる生活で、そういう生活が自分にとっての日常だから、結局そういうコトも出て来ちゃうよな、と。
最近、ブログを休んでたπさんが復活してて、わい、と思う。gooでブログ開いてホントに初期にπさんにかまってもらってわ〜い、と。で、πさんの「π氏」ってHNがおもしろくてパクって「S嬢」と出しただけのアホなHN。元々そんなもんだった。なんか、思えば遠くにきたもんだ。でもまあ、元々の本人はそんなもん。
で。えっとね、例のこのエントリについてなんですが。

弱者からの気配りも必要では/悪徳不動産屋の独り言

つくねさん、今回はこのエントリに関して、踏み込みましたねえ。このエントリとそしてつくねさんのお話と、まあいろんな人がいろんな風に感じるんだろ、と思う。
で、わたしはですね。このエントリは驚いたよ、びっくらこいた。すっげ〜な、と思った。びっくらこいたのはね、気配りとか不快感とか迷惑とかなんだとかこうだとかじゃなくって、この部分。

私がもし車椅子で生活していたなら、初日の物産展には行かないし、街に出る時には比較的人通りの少ない時間帯を選ぶ。小さな子供を連れて外出するなら状況に応じてベビーカーとおぶい紐を使い分ける。奇声をあげる障害を持っている人の親なら、お店の人に事前に声を掛けたり他の客にも配慮する。
弱者からの気配りも必要では/悪徳不動産屋の独り言

この、ね、内容じゃなくてね、ホントに心底びっくらこいたのは、この部分なんですよね「私がもし車椅子で生活していたならば」というとこ。
すっげーなーと。仮定して、それだけで「私は」って模範解答のようなことを言えるんだなあ、この人は、って。
事故による中途障害の方のドキュメンタリーや手記的なものとかって、その障害の告知の衝撃の中心は「治らない」ってことじゃない?と。一時期じゃなくて、それがその状態がずーーーーーーっと続く、ってことがショックなわけでしょ、と。その、ずーーーーーーーーっと続く、ってことがこの人のイメージには無いんだなあと思ったということ。ずーーーーーーっと続くからこそ、その人の生活とかその人とかが存在していることで。車椅子を自分が使うという仮定だけで、そんなにこんな風には言えるもんじゃないんじゃいか、ってくらい、車椅子常時使用の人にはその人固有の生活があるんじゃないか、とも思う。そういうのって、そうそう簡単にはわかんないよねえってわたしは思うんだけど。ぱっと見て、その状況のその人のその背景とか理由とかってことだって、いろいろいろいろあるんだろうな、と思う。
だからなんかこう、すげーなー、とか思った。こんな風に簡単に仮定して「私は」と意見することに怖れとか無いんだなーって。簡単に目に見える一部だけを「こうだったら」って仮定されて、(そんなもんじゃないよねえ)ってのは、こと車椅子とかそういうことだけじゃないと思う。世の中のいろんな職種、いろんな立場、いろんな場面でそれはわたしはあると思うんだけどな。
ああ、キーは「迷惑」ですか。そうですか。査定されるのは「迷惑かける」からですか。
それと。
娘が生まれて、幼児期を過ごした前住地で。乳児期から幼児期、自治体の就学前の障害をもつ子の療育機関を利用してた。保育園に入ってから保育園と個別指導を併用して。
この療育機関、年に一度、文集を出してたんですよね。日々の様子や行事の様子、園の様子や職員の方の文章。そして親の手記。
この親の手記が、障害をもった子の親になり始めのわたしにとって、強烈なものでしたね。とにかくね、わーーー、ある種のタイプの障害をもつ子の親はこんなにこんんなにこんなに世の中からキツい視線、キツい仕打ちを受けているのかーーー、と。常に常に常に、その子どもの行動に対して世の中から評定・審査・査定されているかのようなとこにいるのかーー、と。目からウロコがぼっこんぼっこんと落ちた。わたしは、これまで知らないで生きてきた、と思った。
知らないこと、わからないことっていっぱいあると思う。わかること、わかったと思うことって、すごく限界ってある。わたしはわたしの知らないことやわからないことは、知りたいし、わかりたい。それは、知らないこととかわからないこととか、「これはなんだろう?」って思うことからが出発なんじゃないかと思う。そんなに簡単にわかんねーよ。
なんでなんだろう、なんでなんだろう、なんでなんだろう。これはどういうことなんだろう、これはどういうことなんだろう、これはどういうことなんだろう。
日常でもね、そういうことたくさんあるんだけど。web上で見たものに対して、「なんでなんだろう、なんでなんだろう、なんでなんだろう。これはどういうことなんだろう、これはどういうことなんだろう、これはどういうことなんだろう」って思うとき、いつも思い出すこと。いや、思い出してしまう文字列。
その文字列ってのはね、「これわなんだ?」というもの。それでもって、イメージとしてLsty氏のこのページの画像がレイアウトや色彩もそのままに、頭の中でずんずんずんずん近寄ってきて、集中の邪魔をする。その度にね、笑っちゃうんだけどね。

流れてくる情報を、ただ次工程に流すのは凡人です。/あんたジャージでどこ行くの