リツエアクベバ

satomies’s diary

勝手に納得

2008年7月25日からの発展。
「pollyanna」をはてなIDに使っている人。このid:pollyannaさんとこの記事一覧の検索窓に「パレアナ」なんていうワードを突っ込んでみたけれど。そんなことは浅はかだったなあと思う。つつ〜っといろんなとこ読んだり、山田ズーニーの「おとなの進路教室。」「研究」を仕事にしますか?」で肉声を聞いたりして、なんか納得してしまった。この人、絶対なんかを拾い出そうとする人だ。特に下記のリンクのこの一言はものすごくかっこいい。「それら」は新しい経験と年数とをミックスさせた豊かなものになるのだろうし、そしてそれをこの人はそういう風に「取り戻す」んだろうと思った。

私が捨てたもの(追記あり)/理系兼業主婦日記
私は多くのものを失った。でも、いつか私はそれらを取り戻す。

ふと自分とこの過去エントリを掘り出してくる。

人生を選択するってヤツ

このエントリは、文中にリンクしているid:b_say_soさんとこに向けた文章。プライベートモードにしていたb_say_soさんが現在再び公開しているので再読できるチャンス到来!

全部がんばるなんて無理無理。/Say::So?
「子供を生んで、仕事をして、それで…」って未来図を描くのは悪いことじゃないけど、長い長い期間を考えるときに、その予定を容易に変えうる力というのは存在して、当たり前だけど思ったとおりにことは進まないし不確定な要素が多すぎて不安になる。

そうなんだけどさ。でも、想定する「そのとき」に、自分がどう思うか自分が何を大事にするか自分が何をチョイスするのか。それは実はそのときになってみなきゃわからないことがあったりするもので。でもって、さんざん考え抜いて選択するというより、その考え抜いた中で「そうだ、これを自分は選ぶんだ」ってことが浮かび上がってくるような気もするわけで。
で。そのチョイスのときにたとえ何かを失ったとしても「でも、いつか私はそれらを取り戻す」って、ココかな、ココだよな、とも思うわけです。それは「失ったもの」と同じものであるかどうかってことだけじゃない、自分にとって同価値かそれ以上になる「何か」ではないか、などとも思うわけだ。
さて。障害などという言葉とは特に関係の無い「普通の子ども」だったとしたらという年数よりも、多くの年数をわたしは子ども中心に使ってきたわけで。それは特別支援学校という、生徒数の少ない世界ながらも、そこの保護者の親分に担ぎ出される今年度ということにもなった。でもって、周囲を巻き込んでいくひとつの大きな啓発活動をやることにもなった。
でも。わたしがPTAの会長として動くのは今年度で、次年度のちょびっとにまあ後かたづけ的仕事をするのみ。その後は次の人材に全て渡して「普通のかーちゃん」になる予定。
さあて。いい加減、もういいだろう。もうあと数年で、「障害をもった子ども」は「障害をもった支援を受ける大人」になる。娘の知的障害は存在し続けるし、成人後の問題ももちろん出てくるだろうとも思う。でも娘の成人後もわたしが「母」アイデンティティを持ちすぎるのは、それは違う。
娘が成人して、そしてわたしは50代になったら何やるかなあ、と。次年度からはその準備が始まるんだなあと、ちょっとワクワク。まだまだ人生は、長い。