リツエアクベバ

satomies’s diary

そうかあ、と思った

takoponsの入院と北村想さんの鬱病の話/takoponsの意味

ありがとう、すごいよくわかった。北村さんのお話は、わかるようでよくわからなかった。
北村さんのブログは、うつ病に関しての話が山ほど出てくる。うつ病を語るというより、生きていることを語るときにうつ病の話が当然のように出てきて。そしていつ死ぬかわからない連続の線という感じがする。
山ほど出てくる中で、あえて、という感じで取り出してリンク。

鬱病のことを憂鬱になる病気だと思っている世間の人々がまだ大勢いる。(怠け者になる病気だと思われるよりはマシなんだけどね)鬱病はれっきとしたというか、つまりは脳の欠陥、異常である。

初めて鬱病なんかになったひとは(ほんとの鬱病でっせ。最近はマスコミが煽るので、クスリを求めて、気分が憂鬱なひとが病院に殺到しているらしい)辛いというより悲愴なんだろうなと、自分がビギナーであった30年前を思い出す。年間3万人の自殺も、罹患してみれば納得がいくのだ。この病気はほんとに拷問のような症状である。精神と身体の双方が呼応するように責められる。

今朝は五時起床。キツイんだったら横になってればいいじゃないかと、いわれるだろうが、横になっているのがキツイので起きるのだ。起きてバーボンの水割りを呑む。効かないのよ、そうでないと。これでも、今回の鬱病はまだ軽いほうなのよ。ほんとに重いときは蒲団かぶって泣いてるしかないのよ。二杯呑んで、奥さまが起きてきて7時前、背中をさすってもらって、「もうすぐ治る、30年のベテランだから」といいながら、悔しくてまた泣く。意欲がなくなるのが鬱病の症例のように、本職の医師ですら「うつ病チェック」とかに書いているのだが、それは違う。意欲はあるのだが、身体がそれに応じて動いてくれないという矛盾に焦燥と諦念を感じて、年間3万人が自死するんだ。私はまだやることがあるので、もちっと死なない。

北村さんは、20代のときに大好きだった劇作家だった。大好きな神戸浩氏を世に出していった人物でもある。そんなこんなで北村さんのブログを読み始めたのだけれど。
その北村さんのブログでのうつ病の記載は、いわゆる世に出ているものとは違うという感がある。そうか、と思う。
うつ病の記載のところでかつんかつんと自分が引っかかること。いろいろなことを思うこと。わたしはまだまだ佐藤真氏の自死の衝撃から抜け出られていないようにも思う。

人は死ぬのね(2007-12-05更新分)