リツエアクベバ

satomies’s diary

エスカレーター3

 関心もってエスカレーター関連の文章を集めてみた。すでにブクマされているものの日付を見ると、まあすでに古い話題なんだなあとも思った。

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 この中で、ふと思ったコレ。

人力検索はてな - 【エスカレーターでの謝り方】
エスカレーターの片側歩行についてです。2歳児と4歳児をつれて荷物もっていると、どうしてもヨコに並ばなくてはいけなくなってしまいます。そのときに、歩こうとする方が後ろから来て強引に前に出ようとされます。どのように言えばエスカレーターの終点まで待っていただけるでしょうか?うまい言い回しを教えてください。

 回答はただひとつ。「臨機応変」だと思うのだけれど。いろいろな人がいろいろな価値観をもって生きていて、そうしたいろいろな価値観がまみれているのが雑踏なので、どんな考えをもっていても価値観を押し通そうとしても、それを「言い方」だけで解決しようとしても無理があるんじゃないかと思う。
 質問の中で「山手線内」とあるけれど。どうしても避けられないのは都内の地下鉄の長いエスカレーターだと思う。山手線だったら、階段でもエレベーターでもなんでも、とにかく別の手段は探そうと思えば探せるとも思う。言い方に工夫しなくても察してくれる人は察してくれるだろうし、どんな言い方をしたとしても「ここでは片側歩行、子連れは邪魔」と思う人は思うと思う。そこで自分がどんな行動を選ぶのか、って。結局そこに行き着くことなんじゃないかと。なんかこの質問者の方は、片側歩行の方を認めることが「負け」みたいな感覚を感じてしまった。
 歩くといえば歩けはするが、ろくすっぽまともに長く歩けないダウン症三歳児を連れて、そしてでかめの赤ん坊を連れて、雑踏の駅都会の中を通ってダウン症三歳児のために専門の病院に行かなければならないことがあった頃。予約を取った診察日に夫に休みを取ってもらって車で都心に出かけたり、ヘルパーさんを時間いくらでお願いしたりもしたのだけれど、卑屈という意味ではなく「都会やむなし」的感覚はあったと思う。
 他者の価値観というものが一斉に集合したとき、それはやっぱり多数決の勢いが勝つ。その場において急ぎたい人の割合が多ければ、そこでは「片側歩行が中心の世界」になるのだと思う。だから急ぐ人が多くてやわな子連れが危険を感じる場所では、それなりの時間の余裕をもった回り道の方が賢明なのではないか、とも思うんだな。
 マナーという言葉がこのエスカレーター片側歩行の話題に関してはちょこちょこ出てくるけれど。マナーは人に強制できるものでもなく、余裕が無い場での呼びかけは難しい。それは前提としてあり、その上で、どう考えるかという人が少しずつ増えることで、前述の「臨機応変」の場で、助けてくれる人が生まれていくようにも思う。
 それと。エスカレーター片側歩行関連を調べていくと、「大阪万博で外国人の慣習に従って左を空けるようになった」という記述に何度か出会った。このあたり、ジジババの出番なんじゃないか?
 わたしはこの件に関しては「ババ」ではなく「半ババ」だと思う。当時はまだほんのチビ助だったのだから。
 そのほんのチビ助は、二家族で新幹線に乗って大阪万博に行った。大阪万博ではエスカレーターがどうのってことではなく、「動く歩道」が話題だった。「1970年のこんにちは」と三波春夫が歌った大阪万博当時、歩道が動くなんてことはそれだけで驚きだった。びっくりびっくり。話題の「月の石」と共に「動く歩道に乗る」ってことが、すさまじいワクワクだった。そのときに「急ぐために片側を歩く」というより、「ものめずらしくて歩いてみる人がいた」という感じだったなあと思う。エスカレーターってのが、そんな習慣が根付くほどあったっけ?みたいな感覚もある。パビリオンは長い列をなしてほとんど階段だったよ、とも思うし。
 外国人にそったマナーが根付く、なんてほど、普通の場所を外国人がうろうろしてるわけでもなかったと思う。だってさ、万博会場で姉と姉の友人は外人見るだけでサイン帳もって走って、なんか書いてもらってたんだぜ。注目の「動く歩道」に他者に影響力を及ぼすほどの人数でガイジンがいたら、そりゃ大騒ぎになったと思うような記憶なんだけど。だからこの「大阪万博片側歩行発祥説」はなんか疑問。それが当時ほんのチビ助だった今「半ババ」の感想。
 それ以外にも「海外では」とか「外国の例」なんてのが出てくると、「欧米か」と頭はたきたくなる感はちょこっとあった。外国の慣習がどうとかより、今目の前の危険がどうか、ってことなんではないのかなあ、みたいな感じ、かな。