リツエアクベバ

satomies’s diary

ゆったりのんびりも今日にて終了

 息子が三泊四日の合宿に出かけたのが金曜の早朝。金曜と土曜の午後は娘は障害児余暇支援事業に参加。土曜の夜と日曜の夜は娘を連れて近所のお祭りに。
 いや息子留守で娘とだけの生活は、息子には悪いが非常に羽根を伸ばせる。この辺、この年齢に至ってきた普通の子と障害のある子との違いがあるんじゃないか、とも思う。
 障害のある子の育児というのは、手がかかりなおかつ重要なのはスタートから10年という感じがする。障害をもちながら育つという親子共の重要な基礎固め。ここはやっぱりそれなりに大変なんだけど、その基礎固めの次は、どんなときにどうするかという個別のシステムの熟達のように思う。育児や教育に支援という要素も考え方に加わってくる。
 娘は秋には16才になる。基本的な生活面の力は身に付いた。本人が弱いとこもその解決の仕方もおおよそはわかってきた。あとはケーススタディ。将来面の不安はあるが、乗り越え方もわかってきた。
 坊やの方はねえ。小学生が終わって中学生。ここからの中高6年間でどう自分の将来を考えていくか、という大人になるための基礎固めが始まる、という感じ。どんな学校に行ってどんな風に何をやって生きていくのか、とか。当たり前のことなんだけど、どこにも「支援」なんてのは存在しない。学校という集団や、そこでお世話になっていく教員の方々というのが存在するけれど、責任は本人と、そして本人に意識をもたせる親。のみ。
 育児の父親参加がうんぬん、とかって話はよく聞くが。今となってみれば乳幼児期の育児参加はそんなに大騒ぎするもんでもないとも思う。時間の無い父親は仕方ないよね、とも思う。そういやドラマだの小説だの映画だのの世界で「あなたは子育てに何も加わってくれなかった」的な叫びがあるのって、指して言っているのはこの時期からのようにも思う。子どもが大人になっていく頃の父親の意識としての育児参加の方が、乳幼児期の「手」の参加よりよほど重要なんではないかと思う。
 うちの父親育児参加は、休日にちょこちょこと理数系担当家庭教師をやっていただいていて。はいはい理科と数学はおとうさんねおとうさんおとうさん、と、そういうシチュエーションに双方共に追い込む。そうやって理数系を見てもらうことで父親から見て、この子は何がわからんのか何がわかるのか、この子はどうなのかどういう考え方の方向性をもっているのか、この子を育てていくってことは。ってなことが、この子の年齢なりにそれなりに情報収集できるモヨウ。ってのをしめしめと見ている。建築設計っていう、まあ理数系でおとうさんはわたしら食わせてるんだよてなとこもあるし、坊やに父親尊敬ももたせたい。
 人間育てるのって難しいよ。なんかばっかみたいなんだけど。ネット上で人の文章読むときに、それが男の人だったりすると相手が大人年齢なのにも関わらず(エラいなあ、大人になってんだなあ)とか思っちゃう。もっともなこと言ってたりすると、いやんこの人のおかあさんエラいなあ、とか思っちゃう。
 お祭りで会った息子の同級生のママが、合宿に行くのに「アンタなんて帰ってこなくていい」と言って出してしまった、と。合宿から帰ってきて早々に漢字検定の受検があるのに、アイツ勉強してるフリして何もやってなかったことが出発前夜に判明したんだよ、と。
 たかが漢字検定なんだけどねえ、この漢検、公立高校受験のときに内申上げる重要キーでもあるわけで。うちもいずれ受験させなきゃならんのだけど、そうかあ中一からもう人は準備してるのか、と聞きながら思う。
 別に世間様の「いい学校に入れなきゃ」思想というわけではなく、ごく普通の公立高校に入れること自体、のほほんと過ごしてしまう子にはかなりきつい状況になっている地域事情なんてものがあって。そうしたことに適度にケツたたいていかなきゃならないのは本当にめんどくさい。「特に望みが高いことを言ってるんじゃない、本人さえしっかりしていてくれさえすれば…」なんて母親のため息のようなものを、中学入ってからやたらに聞くようになった。
 夏休みっていったってねえ、二期制だから9月入ればすぐ期末試験が待ってる。わたしアンタの友達じゃなくておかあさんなんだからさあ、おかあさんがこの時期にケツたたくのはもう仕事なんだよわたしのさあ。もーよろしくね、なんて悲鳴上げてますよ。いいなあ、本人しっかりしてる子はなあ、とか思う。
 げー。現実が夕方になれば帰ってくるよ、なんて思いつつ、三泊四日スポーツ漬けだった息子のために、まあ夕食豪華にしてやろうと思ってます。