リツエアクベバ

satomies’s diary

メリル・ストリープからうろうろ

 8月5日に「映画カテゴリ」をつけたという文章を書いて。ああそういえば最近メリル・ストリープの映画を観てなかったなあと思って、という流れ。最近の作品でってことで言えば、「プラダを着た悪魔」はまだ準新作なので旧作になってから借りてこよ、と思っている次第。いいなあこの人、と思っても、体調不良押してまで映画館に行っちゃうスタローンとの「好き」の差はある。
 そんなにしょっちゅうTSUTAYAに行ってるわけじゃないんだけど。っつ〜か、近くのレンタル屋がつぶれてしまったこともあるんだけど。ここんとこ、息子の自由研究の流れからDVD借りが続いていたことはあると思う。
 で、メリル・ストリープ未見作品を観るなら、まあ有名どこもいっとこみたいに借りてきた「マディソン郡の橋」。そこから「恋におちて」の再見。
恋におちて いや細かいシーンで微妙に記憶が違ってました。でも驚いたのは記憶よりももっとカップルのどぎまぎぶりがかわいかったこと。いい大人がどぎまぎ、ってのは記憶にあったけれど、ここまでだったか、と。観たのが自分20代で、いい大人がここまでか、ってのが今わかるとこもあるんじゃないかと思った。
 あと公開時に観たときにわかんなかったことで今わかること。わかんなかったから忘れていたんだと思う。メリル・ストリープが演じる女性モリーは、先天性の血管の奇形(?)により初めての赤ん坊を生後まもなく亡くした女性だった。そのことに夫婦共に傷ついたという過去があり、ロバート・デニーロが演じる男性フランクが自分ちの子どもの話をするときに、それをどんな風に聞いたのだろうとか。自分に縁が無いことというのは聞いても忘れるものということなんだろうなあと思った。
 「恋におちて」を観れば、「マディソン郡の橋」はやっぱりズルいと思う。でも主人公の年齢が出すものもあるんだろう。
 などとはいえ、不倫映画ばっか観てるのもなんですからね。ってことで、「愛と哀しみの果て」も観る。
愛と哀しみの果て これは初見での感想は「なげ〜よコレ」でした161分。長いけどきれい。アフリカの自然がどばどば出てくるので、大画面で観るのがすごい映画だろうなあとは思います。まあもう映画館上映の機会は皆無だろうが。
 でこの映画、要はアフリカに生きた女性のドラマということになるわけですが、この映画に関してこのサイトは貴重な存在になっているのではないかとも思う。 

『愛と哀しみの果て』前説……ディネーセンとアフリカ

 しかしこのヒロイン、亭主に梅毒うつされて大変なことになっちゃうんですよね。その割にはたやすく許してると思わなくもないとこが、時代背景なのか、とも思う。渡辺淳一の「花埋み」を読んだときに知った「日本初の女医は、医師になろうというその動機が夫に淋病をうつされたということだった」という衝撃を思い出すよなあ、と。「愛と哀しみの果て」のヒロインが、夫に梅毒をうつされたことで不妊になったこと。その原因ではなくそこで得てしまった事実が本人に与えていく影響とか。
 アフリカに生きた一人の女性、ってことでいえば。この映画よりわたしはこっちに軍配。

「女ひとりのアフリカ」池田林子著

 これは単純に言って、自分にとっての価値として「日本の女性が書いた」ということが大きいとも思う。アフリカの話は山ほど出てくるのだけれど、アフリカがどうたらということをのぞいても、一人の女性の人生の話として十二分におもしろい。実際わたしはアフリカがどうたらではなく読んだ。アフリカ好きの友人が自分で買って、そうしたらその後プレゼントでこの本もらったのでダブっちゃったよあげるよ、というタナボタで得た書籍だったのだけれど、長く大事にしている一冊。どうやら初版で終わってしまっているのがものすごくもったいないと思う。
 英国人と結婚して独立前のケニヤに住んだ著者。ケニヤで次々に活躍することになり、1975年に行われた沖縄海洋博ではケニヤパビリオンの館長としてケニヤ政府から派遣された経歴ももつ。
 この沖縄海洋博の頃に離婚。生きていくということ自体に壁を感じるかのような痛手を味わった著者は、自分の意志で、生きていくためにアフリカに帰る。40代の人生の再スタート。この「生きる」という感じがすごいんですよねこの本。また70年代後半のアフリカの内乱や、そこに生きる人々の生の姿。本棚から引っ張り出してきて、再読に入ってます。