リツエアクベバ

satomies’s diary

Mちゃんと娘のこと

 昨日書いた日記に娘のお友達のことを書いて。ついつい彼女のことを書きたくなったので書く。長いので久々に「続きを読む」記法にしてみます。
 娘が小学校に入学するちょっと前に、現住地に転居。娘を近くの公園に連れていったときにいたのがMちゃんだった。小さな公園で女の子たちが数人で遊んでいて。そこに所在なげに一人で、なんだかふてくされた顔で寄りかかってた。
 小学校に上がり、娘は障害児学級に在籍。その小学校では毎朝、障害児学級にランドセルを置くと、そのまま交流級に行く。交流級ではきちんと席が確保されていて、そこに座りそのまま朝の時間を過ごし、一時間目の授業が始まるちょっと前に帰る。曜日によっては給食交流や、子どもによって週に何回か音楽や体育、図工の授業に参加した。その交流級にMちゃんがいた。
 わたしが学校に行くと、走ってきてわたしをどんと突き飛ばし「わっ」と驚かす。特ににこにこするわけでもなく、「わっ」と。ただそれだけ。男の子っぽい感じの子だった。
 そのうちに障害児学級の方で、ちょっと知られた子になった。朝、学校に行くと自分の教室にランドセルを置き、すぐに障害児学級の教室に入る。窓のところに寄りかかって、障害児学級の子どもが登校し、朝の支度をするのをそのまま眺めてる。そして娘が交流級に行くときにいっしょに自分の教室に帰るのだった。いかにも大人が好むような紋切り型の子どもの愛想笑顔のようなものは全くなく、誰かが話しかけても返事さえしないときすらあった。
 娘が帰るとしばらくして玄関のチャイムが鳴る。Mちゃんが来る。これが何年間もの間、週に数回。誰かを連れてくるのだけれど、それが多いときでは5〜6人だの7〜8人だのになった。学年もばらばら、外を走り回ってるような男の子が多かった。「うちの子、お宅に遊びに行ってるんですって?」と、そんな男の子のおかあさまに聞かれ、そうなんです、と。ああどういったらいいんだろうみたいなことも多かった。なんせ学年もばらばらだったし。ばらばらというか、2〜3年上の学年の子が多かった。
 「外で遊んでるとMがすぐに『ちぃちゃんちに行こう』って言うんだ」と男の子たちが言う。障害のある子と遊ぶなんてことが全く予想もつかないような子たちばかりだった。美談のように一生懸命娘を混ぜて遊ぶということでもなく、ただなんとなくMちゃんは娘をそばにおき、なんとなく他の子と遊ぶ。娘がふぃっとどこかに行ってしまっても後追いもしない。そしてまたふぃっと娘が帰ってきて、Mちゃんのそばにいる。そんな感じだった。
 学年が上がってくると、連れてくるのはいつも同じ女の子になった。二人で遊び、それが時々娘を混ぜて三人になり、そしてまた二人になり、三人になり、という感じだった。運動会の前はいつも3人でダンスの練習をした。2人はいつも娘を中心にし、娘と練習するという感じでそのショーは毎日繰り広げられた。
 Mちゃんが連れてくる女の子とMちゃんは仲良しなんだけど、時々ケンカをした。ケンカをすると二人とも黙りこくる。「帰る!」と言って連れてくる子は帰る。そしてMちゃんはなんとなく娘と二段ベッドがある部屋にこもる。そんな時間はそっとしておくのだけど、ある日ふっとドアをあけてその時間の二人の過ごし方を見た。二人は寝そべって、ほおづえをついて顔を寄せ合って、ただにこにこしてた。ただそれだけ。
 Mちゃんは連れてくる女の子と、独創的な遊びをいつも繰り広げた。ああこうやって娘を参加させるのか、と、感心させられることは多かった。それはどんなドキュメンタリーの障害関連感動仕込みドラマとも一風違ったものだった。
 週に何度か、学年が上がっていき来ないときもあったけれど。それでも驚くことに、それは小学校の卒業まで続く。5年生だの6年生だのって、もう完全にいっしょには遊べないレベルの差は歴然だったのだけれど。平日だけじゃなく、土曜日にさえ来るもんだから(まいったな…)ってこともあったけれど、Mちゃんが来ると週末の予定をついつい変えてしまったりしたものだった。
 一年生の頃からこの子と娘の仲は学年の先生たちには周知のものになっていて、偶然だった低学年以外では、Mちゃんは娘の交流級にいるということはなくなった。Mちゃんとは学校で交流しなくてもいい、ということで。他の子との交流の機会を増やすために、ということだった。
 4年生のときだったか、わたしは障害児学級の担任から叱責を受ける。Mちゃんに娘の世話を押しつけているのではないかと。ど、ど、どういうことですか、と。暑くなり始めた頃の朝の通学時に、長い通学路の学校の近くで、娘がへばって座り込んだらしいとのこと。そこでMちゃんが娘をおぶって登校したのだそうだ。学年の中で体は大きい方だったけれど、それでも4年生は4年生だと。その姿を見つけたMちゃんの担任の先生が走り出て、やめさせたのだそうだ、危ない、と。そしてこの子の親は子どもにこういう世話の押しつけ方をしているのかと、障害児学級の担任に抗議があったとのこと。
 Mちゃんに聞く。ごめんね、先生に叱られたの?と。そうすると、とりたててどうでもよさげに言う「なんかちぃちゃんと学校に行くの、あの先生は気に入らないんじゃない?」と。「なんか先生たちが好きそうなやり方ってのがあるみたいだよ」「まあいっしょに学校行かなきゃいっかな〜」と。娘といることをどうせ大人はたいして理解はできないだろ、みたいなテキトーな物言いだった。Mちゃんは娘の「世話をしている」という感じは全くなく、おぶって歩いたときは、それはMちゃんの判断だったのだろうと思った。そしておぶわなくても、まあ娘は娘でなんとかするだろうってことも、Mちゃんはきっとわかっているのだろうな、とも思った。
 Mちゃんの担任の先生に「申し訳ありませんでした。そういうことがありそうなときは、わたしが学校まできちんと送り届けます」と言いに行く。 Mちゃんのおかあさまに電話する「お世話をさせてしまって申し訳ありませんでした」と。Mちゃんのおかあさまが言う、「あら、あの子は世話してるなんて思ってないでしょ、単に気が合うんでしょ」と。おおおおお、と思う。
 その学年のとき、宿泊学習があった。部屋割りを聞く、交流級にはいないはずのMちゃんが同じ部屋割りになってた。しかもその部屋ではMちゃんのクラスの子はMちゃん一人だけだった。「他のクラスといっしょの部屋だからね、Mちゃんの担任の先生がそれわからないタイミングで、Mがうまくやったらしいよ」と、別の子から聞いた。…、らしいなあ、とか思った。
 小学校を卒業する。娘は特別支援学校に、Mちゃんは学区の中学に進む。春休みは遊びに来ていたけれど、Mちゃんは部活に入って、顔を見せることはなくなった。そして娘は居住地交流として、学区の中学の障害児学級に午前中のみ月に一度の参加が始まった。
 「お友達が来てましたよ」と、付き添いの特別支援学校の担任が言う。え?お友達?「ちぃちゃん!、って呼んでましたよ。ちぃちゃんも手を振ってましたよ」。
 …。あの、先生、その子に話しかけました? もしかして話しかけて、テキトーに無視されませんでした? 「あ、ああ、そんな感じでしたね」。Mちゃんだ!
 それから何度か続く学区の中学の障害児学級への参加。「あの子、また来てましたよ。向こうの担任の先生がおっしゃってました、次にいつ来るのか聞きに来ると。それと今日は何人も引き連れて、階段のところで待ってましたよ」。あははは、らしいなあ、と思った。
 なんで仲いいんだろう。っつ〜か、なんでMちゃんはあんなに娘のことが好きなんだろう、とは思う。でもそんなことをいろいろ邪推したら、すすーっと斜めに見られて(バカじゃない?)とか思われるんだろうなあと思う。まあ娘がどうのっていうより、わたし自身がMちゃんのことがかなり好きなので、細かいことはどうでもいいやとも思う。そもそも人間関係なんて、大元はそんなものかもしれない。