リツエアクベバ

satomies’s diary

難しいなあ

クレーム対応体験談/CROOK

 リンク先も興味深く。またここで語られる体験談も興味深く。「働く」という上で正論だと思う。
 その「正論」からこぼれていく声。バイトにしても社員にしても。クレーム対応というときに、「この程度のことで何をガンガン」ってお客に思うケースもあるだろうと思うし、自分にも経験はある。そのときに要するに、自分が否定されたと取るのか仕事上で次にやるべきことが発生したと取るのか。仕事というものは後者の思考が必要になっていくということ。個のプライドよりも自分の現在の立場。そこでどう動くかということに頭を使っていくことが仕事ということなんだと思う。
 難しいなあと思うというのは。自分がどうとか誰がどうとかってことではなく、現在進行形で人間を育てている立場というとこで。こうした話のときに、何が正しいかどうすべきかってとこ。それは結局根底で何をどうとらえ、どう動く人間として育っているのかということが重要なものとして存在しているように思う。この根底を、わたしは、今、芽として種として、仕込んでいるのだなあと思うこと。
 キャラとして、器用で立ち回りのうまい子というのはいると思う。小さいときからリーダーシップをとるキャラの子は、その経験なりにまた学習を積んでいくと思う。また一言えばその解釈として5や10の道を考え出す子もいると思う。
 でものったりくったりとあんまり器用でない子はなあ、と。と、あんまり器用ではないタイプの子のかーちゃんは思うわけだ。そして子を持つ前は、単に「それは違うだろ」と思ってたことでも、(その人はどうしてそうなんだろう)とか思うわけだ。
 あんまり器用なタイプとして育ってない場合は、目の前の仕事のクレームに対してすぱぱんと全体対応で動ける根っこみたいな自信に欠けるのかもなあ、と。そういう頭の回転を瞬時に動かせない場合は、ネガティブな感情を自分の中に生み出すスピードの方が出てしまう場合もあるのかもなあ、と。そのネガティブな感情の中で自己の正当化と相手の問題点の並べ上げに終始してしまうことが出てくるのかなあ、とか。
 器用じゃなきゃ器用じゃないでしょうがないよね、学習を積んでいかなきゃ。すぱぱんと動けなかったとしても。自分のネガティブな感情に負けずに全体でモノを考えられるには。そういう人間として育てていくには。ってことなんだと思う結局のとこ。自分の状況にマイナスが起きたときに踏ん張りをきかす思考や体験。そこかもなあ、と思う。そこで愚痴で逃げるんじゃなくて、次への材料をざくざく掘れるようになるにはなあ、とか。
 息子が中学に入ってどんな学校に進学するのかできるのか、なんてことが定期試験だの面談だので当然出てくる話なわけで。そんな時代に入ってきて、結局思うのは、どんな学校に行くかってことより、その先で社会に出たときにどんな人間になっているのかってこと。結局そこだよなあ、と思うこと。だって学校出てからの方が人生ずっと長いんだもの。
 ひとつひとつの経験にまだ寄り添える時期に、何を渡してやれるのか。そんなことを思うんだよね。経験に寄り添える時期が終わってしまうのも、もうすぐ近くまで来てるんだよなあ、と。なんてことを、あと数センチでわたしの身長を超える息子を見ながら思うわけで。もう声も子どもの声じゃなくなった。
 巣立っていく人間に何を渡してやれるのか。これはもうずっと前から始まっていることなんだけど。でも成長の中で意識するパーセンテージは年々上がっていくようにも思う。自分の仕事上のことで、程度の低いことでぴーすか言う人間にはなって欲しくないよなあと思うからねえ。