リツエアクベバ

satomies’s diary

はてなスター

 予想通りはてなスター評論はあちこちに怒濤のように生まれていっていて、ふにゃふにゃ利用者はその情報に追いつけない。自分が追いつけなくてもちゃんと整理しておいてくれる人が出てくるもん、って思ってたら早々にまなめ氏とyas-toroさんが着手。他にもいらっしゃるんだろうけれど、ふにゃふにゃ利用者はリンクでお呼び出しがかかるのが楽チン。

 っつ〜か、自分のぶつくさがこういうとこに入ってくるとは思わなかった。リンクに「はろ〜」とのんきに挨拶。
 突然の標準装備の絶対制や、クソ重くなった状態。ふひゃ〜とは思うけれどサービス提供側の都合によるなんだかんだは、わたし自身はgoo利用時にすっかり慣れっこになったかもしれない。
 しかし感じるのはgooとはてなの違い。gooのスタッフブログは言葉は丁寧でもユーザー無視感覚は感じたのと、スタッフブログのコメント欄にだらだらと続くユーザーからの「アンタはこうするべきだ」と怒鳴るような「べき嵐」。はてなはユーザーの希望を通すかどうかは別にして下記みたいなことをやっていて、そしてふにゃふにゃ閲覧でながめている限り、言葉の使用だけで言えばユーザーからの「べき嵐」は発生していない模様。サービス側に「べき」を叫ぶより、考察や評論に向かうのがはてなユーザーかも。

はてなアイデアにお寄せいただいたアイデアについて/はてなスター日記

 gooのあの頃は、gooの動きに対して冷静なまとめをもってきてくれるのはえっけん氏ぐらいのような印象があったのだけれど。gooのスタッフがgooスタッフであることを明記した「個人ブログ」で、エントリ上から「えっけんさんどうですか?」と問いかけたのにはかなりウケたけど。それに比べればはてなは層が厚いね。最近のgooはどうなんだろ。
 「突然の標準装備」に関しては、いきなり自分トコにぼこんと設置された抵抗で、自分とこ自分とこって感覚を呼び起こされるようにも思うけれど、要するに「借りてる畑」だから。それに管理ができる、ってだけでパブリックにしてトラックバックやコメント受付状態にしていれば、厳密に自分とことは言い難いとも思う。
 はてなスターのコメント機能だとかFavoritesだとかは、使う人が使いたいように使えばいいと思う。ツールや機能はどう生かすかは自由だし、使わないのも自由かな、と。わたしの感覚で「この人使い方上手だなあ」と思うものも生まれるかもしれないし、生まれないかもしれない。よくわからない。ただ「この人使い方上手だなあ」ってのは、ツールが生まれないと見られないもの、ってことはあると思う。
 自分がどう使うか、ということ。それもわたしはよくわからない。ふ〜んと眺めてる状態、かな。はてなブックマークは完全に「再読の可能性のための栞」に使っているので、単純に「わい!」って感じのポジティブ拍手に使えるかな、とは思うのだけれど、自分がどこにいくつ付けたか記録がつかないのはな、と思う。ちゃんと覚えておきたいのよね、自分。
 まあどう使うか、ってことで真っ先に思いついたのはlegnumさんとこの下ネタね。カラっとおもしろくてうっきゃっきゃ状態なんだけど、パブリックのブクマにもってくるのちょっと恥ずかしいんだもの。
 ポジティブ評価ツール、ってことに対してのうんぬんという評論も生まれているようだけれど。肯定は否定の発生に影響し、否定は肯定の発生に影響する。これ自体はツールがどうにかできることでもないんじゃないか、と思う。ツールが動き出して数ヶ月たった頃に、また見えてくるものがあるんだろ。