リツエアクベバ

satomies’s diary

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fuuuuuuunさんとこから検索の旅に出る

fuuuuuuunのブックマーク / 2007年04月23日
ロリコンファル - カッコウの巣の上で −信頼−

 実子ではない子どもを実子と信じて育てる父。遺伝子検査によって判明する事実が起こす悲劇。問われているのは家族の信頼という話。
 これを読んで、おおそだそだと思って「ストリンドベリ 父」で検索。ストリンドベリという劇作家の「父」という戯曲を思い出したから。
 記憶だけなので細部まで自信が無いのだけれど。金持ちの男の話だったと思う。なんだか貴族の敬称がついてたんだっけ。ある父親。妻からの何気ない一言から破滅する。その何気ない一言というのは「あなたの子どもが本当にあなたの子どもかどうかあなたにはわからない」ということ。言ったのはそれだけ。それ以上のことは何も言わない。「父」は猜疑心と疑惑と信頼の根底の崩壊とで、精神状態がおかしくなっていく。そして破滅。妻は何もしていない、事実も何も出てこない、ただ一言を夫に投げただけ。
 こわ〜い話だった。そしてこの話の中に「ストレートジャケット」という言葉が確か出てくる。手の部分が異常に長い上着。この手の部分を後ろに回して背中で縛る、要するに拘束衣。たった一言を投げただけの妻は、夫に精神障害者の烙印を押し、このジャケットで拘束する。
 「ストレートジャケット」で検索する。驚く。オシャレなサングラスの商品名になっていた。拘束衣として出てくるのは以下のもの。

技術資料(海外)新監獄コントロール・システム
肉体的な抑圧の道具は、一方ではストレートジャケット(手の自由を奪った服)やボディーベルトから、他方では親指打ちから足かせまでの範囲に広がる。

 さてストリンドベリWikipediaでの記述がおもしろい。

ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

逸話
オカルト研究でも知られ金の製造の研究をしていた。若い頃から科学ファンであったし「アンチバルバルス」を書いた時は大科学者としての名声を期待したが詐欺師、馬鹿と言われた。

 また、こちらの紹介もおもしろい。ちょっと長いけど引用。

第4巻 ストリンドベリ集
ストリンドベリは、メーテルリンクと同じく、その文学作品の中でさまざまな問題を提起し、問題棚上げされたまま歴史のかなたに忘れ去られようとしている作家である。
イプセンに対して批判的な作家活動をしたために、日本におけるイプセン現象による被害も受けた。
山本有三武者小路実篤芥川龍之介山本周五郎という作家に直接的な影響の痕跡があるとすれば、女性憎悪劇を書き、化学実験に没頭し、オカルト研究にも手を染めたこの作家の根源に、その表層におおわれた人間理解を発見することが可能であろう。

 結論は無いです、単に検索のメモ。それと古典が忘れ去られていくのももったいないなという気持ちが少し。ストリンドベリという人間はおもしろいと思う。女性憎悪とオカルト、とか。

ngmkzさんのブックマークに「おお」

 これブックマークしたか、と思う。いっぱいタグがついているんだけど、とりあえず「防犯タグ」で抽出。

井の中に映る空の模様 / 防犯

 これ、多分このエントリを書くときにブクマしていったと思うのだけど。

ぼくらは、線と点の関係だけでなくて3次元的な「物語」が、複雑に絡まった中に生きているということと「虐待」/かへる日記 (FRGFRG304)

 何に「おお」と思ったかというと、モラハラもっていったこと。Wikipediaもってくより、はてなキーワードの方がリンクが充実してるわよ、わたしが以前入れといたから。
 いや実は以前、ngmksさんのエントリで(ああそれは)と思ったことがあって。それはこのエントリのこの部分。

やっぱり自分のことは自分で決めるべきだし、だから、ぼくらはその人のことを肯定することしかできない。いや、肯定することができるんだ。/かへる日記 (FRGFRG304)
どんな人だって、怒られてばかりでは成長しないと思う。
支援者が相手の問題点ばかり探して、揚げ足をとって何から何まで気にしてそれを言っていたら、相手は参ってしまいます。
声かけだけだけじゃなくて、態度だってそうだ。
なけなしお金で買った安い新しい時計を見てもらおうと必死で父親に見せている子どもを無視していてその子は、どんな気持ちなんだろう?

 でもコレ、わざとやる人いるぜ?と思った。相手が参ってしまうことが自分の位置確認、自己顕示みたいな人。って思ったけどそのときに言わなかったのは、ngmkzさんとモラハラって、なんかあっちとこっちみたいなくらい距離があるもののように思った。わざとやる人いるぜ?って言ったらびっくりされそうで、なんかめんどくさくなって言わなかった。 
 モラルハラスメントなんて言葉を全然知らなかった頃に読んだ本、これだこれこれと思った。太字にしてみた。

アベカワの好きな人がいるなら、せめてキナコを絶やさないようにしようと思い、砂糖醤油につけたモチを小さく千切って丹念にノリを巻いて食べるかみさんが、何となくばかばかしく見えようと、ひょいとノリの缶を手渡してくれさえすれば、それで家族などというものはうまくやって行けるのである。私は異常に望みが低いのかもしれないが、アベカワを食べようとしていると、キナコを庭に捨ててしまわれ、ノリマキを食べようとしているとノリの缶を取り上げられるような変わった生活の経験があるから、今の、ごく普通の生活さえありがたくて仕方がない。
曾野綾子「夫婦、この不思議な関係」より

 これ初めて読んだとき拍手したくなった。ああこうやって言えばいいのかあって。でもこうやって言ってもわからない人には「???」なんだろうなあとも思ったけど。
 家の中にこうした不可解な不快なことが無いってことは、しあわせで仕方ない。家庭って、なにはともあれそこさえ成立していれば、と思うわたしも、望みは低いのかもしれない。はてダでちらっとそんな話入れたのはコレだったっけかな。

 ngmksさんのエントリに戻って。引用した部分、生活の中に全部あった。「相手の問題点ばかり探して、揚げ足をとって何から何まで気にしてそれを言っていたら」「声かけだけだけじゃなくて、態度だってそうだ」「その子は、どんな気持ちなんだろう?」。わかんない、わたしは慣れた。それがわたしの生家での生活だった。見聞きする世の中一般の家庭のイメージとは一風変わっていたけれど、ちょこちょこ嘆息だったけど、深刻な不幸って傷を自分は負ってないと思う。なんでだろ。父親が帰宅する時間以外の世界をいっぱいもってたからかもしれない。