リツエアクベバ

satomies’s diary

言葉と体験

「放った言葉は意思を持たない」故に、放ったれた先の人を呪うこともできる。/かへる日記 (FRGFRG304)

 かえるにーちゃん、グッジョブ! なんだけど「放ったれた」にくすっと笑う。ごめんなさい。
 んじゃなくて。

その「呪いの言葉」は、放つ人が自覚的であればあるほど効力を増します。
いや、放つ人ではなくて放たれた人が、その言葉の自分に向けられた意図を汲み取ろうとすればするほど強力に作用する。

 アンダーラインをぴかぴかの蛍光色で引きたい気分ですな。
 しかしこのエントリ、その内容が非常によくわかるのは、ドラゴンクエスト「ザキ」ファイナルファンタジー「デス」をたとえとしてもってきているところだと思う。
 わたしはファイナルファンタジーは体験していないのだけれど、ドラゴンクエストは体験。ここで言いたいのは、ゲームをやったっていう言い方ではなく、体験がふさわしいだろうと思うということ。
 世界を冒険し、そしてその中でここで出てくるたとえば「ザキ」や、その他の呪文というものの意味を、知識としてではなく体験として自分の中にもっているものなんだろうと思うということ。たとえばWikipediaで呪文を調べても理解に限界があるというような。ひとつの言葉に関して、共通の体験をもつという認識が生まれ、共感をもたせていく効果があるように思う。だからこそ、このエントリの結びの部分がよくわかるようにも思う。

「呪いの言葉」に限っては、批判や批評でない。
その言葉を受ける前に、回復魔法を用意しておくべきです。
どんな言葉があなたやぼくの呪いの言葉であるかは、それぞれだけど、その言葉を言われたら発動する魔法や装備や道具を用意しておこう。
呪文が唱えられたら、この言葉を言えば無効化できるという、絶対回復魔法を。

 で、ちょこっと考えてみたんですが。ドラゴンクエストの場合は、ザキもってる相手と対戦を始めた時点で相手のザキの可能性はわかるのだけれど、実際の人間関係の場合は文字上でも文字上ではない場合でも、相手がザキもってるとは思わずに相対してしまう場合が少なくない。ザキに有効な装備をいつでもしていようと思ったら、それはけっこう緊張感が続くような気がしないでもない。
 絶対回復魔法とまでのものすごいものでなくていいから、日常からすばやさのタネをちょこちょこ食っておくというような、場面転換の柔軟性というものも有効だろうと思う。ザキ来そうな場合に、寸前で逃げる、リレミト、ルーラの流れをもてるような。で、宿屋にでも泊まって回復すればいい。このあたりは要するに、頭の柔らかさのようなものか。また、自分のウィークポイントを知っておくということでもあると思う。
 またザオリクザオラルが有効な友人をもっているかということもあると思う。人間関係として。存在するだけでザオリクの効果がある人。そういう人もいるなと思う。
 オマケ:ラリホーの語源とされている海外アニメの「スーパースリー」YouTubeで見られるヤツ。これ、夕方の6:50とかの細切れ放映だったような記憶。何十年経過しててもこのテーマソングは歌えるぞ、というところ。何年か前にケーブルテレビのカトゥーンネットワークで再放送を見て大感激しました。スーパースリーで検索して見つけた↓におおいに共感してぶんぶん首縦振り。

『スーパースリー』 /愚者の惰眠