リツエアクベバ

satomies’s diary

ネット上の時間的感覚では、ちょっと古い話になるかも

 fuuuuuuunさんのブクマから飛んで、へーとかほーとか思ってたこと。

fuuuuuuunのブックマーク / 2007年03月29日

 んでこの一番上にくるクリップ先というとこ。現在のはてダのわたしの設定だと、リンク入れると勝手にトラックバックが飛んでしまう。そんなことをするほどのこともないので行きたい人は↑経由で。書かれている内容は、高齢出産でダウン症の子どもを生んだ大平光代氏に関して、否定する内容が主旨のもの。
 この内容に関しては個人的信念ってとこで、よろしいんじゃないかと。40代入ってからの出産ってのは、あなたも?じゃわたしも!とかってノリでやるものではないことってとこもあるよね程度以上の感想は無し。あとは、ダウン症の子どもを育てるのに貧富ってのが「天と地ほどの差がある」ってほどのことはないよ、とも思う。この方にはイメージ、そしてわたしには日常ってことなんだろうなと思う。そして高齢出産で生んだ方も、子どもが育つことが日常になっていくことで越えていく気持ちはあるよとも思う。だって子どもは生きて命をもって育っていくんだもの。
 なんて思うけどわざわざそれを言いにいくようなこともないよねえ、と思う、だって個人的信念なんだろうから。
 それよりそれより。この記事上でリンクされてるとこに注目。

読売新聞 2006年12月7日
「出口は必ずある」ダウン症の娘 9月に出産 あるがまま愛して/大平光代・弁護士

 ダウン症は、なにかっちゅ〜と必要以上に味付け表現キャッチコピーがついてきたりすることにわたしは慣れっこなので、その付加されているだろう情緒的イメージを差っ引いて読む。

太平山は中学生のとき、いじめを受けた。クラス全員に無視され、机に落書きをされ、持ち物を捨てられた。「親友」に、打ち明けた話が、いじめる側に筒抜けになっていたことを知り、割腹自殺を図った。

 とにかくとにかくまず笑ったこと。こりゃまずいだろ、と何度も目を疑う。
 太平山って誰?
 んでこの方の著書、わたしも読んだんですが。中学のときにいじめをうけて、ってことで、まあいわゆるな表現で言えば「身を落としていった」と。その後のサクセスストーリーってよりも、わたしの心に残ったのはこの方が受けた差別。
 この方が自殺未遂後に出会っていく人間たちの多くがこの方を差別していくその理由。中学だろうがどこだろうが関係なく差別がある。それはこの方が取った自殺の方法なんですよね。「割腹自殺をするヤツは気味が悪い」と。「変な自殺のやり方をする変なヤツ」「何するかわからんヤツ」「関わっちゃヤバい」と。
 自殺という行動ではなく、その手段を理由に根強い差別をどんな種類の人間関係でも受けていくという事実が、わたしにはかなり衝撃的でした、その後のサクセスストーリーよりも。
 自分が選んだやり方で徹底的に差別を受けていく。これは自分自身の人格否定を根強くされていったのと同じことで、これはきつかっただろうな、と思う。この根元の否定を受けた経験がある人だから、ダウン症という事実の受容には、さして問題はなかったんじゃないかと勝手に推測。
 それと掲載されている写真の赤ちゃん。見る人はすぐに見るだろう、鼻からの管。9月出産で12月掲載の写真の鼻に管、年明けには手術。たったこれだけで(この子の合併、軽くない…)と思う人は思う。これは大変だっただろうなと思う。「母親は私だけ」という言葉、ああ思うだろうな思うだろうな思うだろうな〜、と思う。この人ほどの社会的位置は無かったけどわたしも思ったさ思った思った思った思った、と思い出す、15年前。すごい親近感。
 1月に手術は終えられたそうで、根治手術だといいなあと思う。9月生まれということだから、今7ヶ月くらいなのかな。お花見を親子でできているといいなあと思う。
 わたしんとこは10月生まれで翌2月に手術。このときに退院は桜には間に合わなかった。つらかったなあと思う。そのこと、桜の季節のたびに、いまだに思い出すのよね。
 今年? もちろん行きましたよ〜お花見。死にそうだった赤ん坊が生きて育って、あの頃つらい思いで見つめた桜の下を笑顔で歩く。かーちゃんゴキゲンさんでビール飲んでる横で唐揚げをぱくつく。うふふと、しあわせ。