リツエアクベバ

satomies’s diary

がんばること自体は悪くないよ、悪いのはがんばらせられることだと思う

 霞先生からトラックバック受信。

いつまでがんばる?どこまでがんばらせる?/養護学校って…へぇ、そうなんだ

 がんばることは悪くないと思う。でもがんばるときに大事なことは、それをそのことをがんばろうって、自分で選んで決めることだと思う。
 自分で選んで自分で決めてがんばろうってことだからこそ、がんばれることってあると思うし、自分で選んで自分で決めたことに対してがんばらなきゃいけないことってのもあると思う。
 生涯教育ってのは楽しいと思う。楽しいと思っている人がたくさんいるからこそ、生涯教育ってものが存在しているんだと思う。それは学ぶことを自分で選んでいるからだと思う。
 生涯教育という場のひとつである放送大学。わたしが育児環境をやりくりしつつ、発達心理学や福祉について学びたいと思ってここのスクーリングを受けていたとき。ほとんどの講師が言っていたこと。授業がしやすい、みんな真剣だ、出されるレポートも質が高い、と。欲しているのは他者からの評価じゃない、自らの満足感だからだと思う。生涯教育という需要があることが大事なんだと思う。
 知的障害児に関しては。どうしても周囲の方が先に、がんばらなきゃいけないことを設定してしまうのだと思う。いや設定はいい、見通した課題の設定等、周囲の方が設定しやすいことはたくさんあるし、設定する支援というものもあると思う。
 ただ、そこで。本人が選択する間をもたせているか。本人が選択するモチベーションを持たせているか。そのことが重要なのだと思う。周囲が設定したことであっても、本人が選択する場合、本人のモチベーションが確保される場合、がんばることは出てくる。そしてがんばったことに対しての達成感をもつことが、自己充足感につながっていくこともたくさんある。
 「ありのまま」という言葉だけで成長の可能性を投げてしまうのは支援の怠惰だし、本人置き去りの課題の提示と強制は本人自身を育てない。何かができるようになることが大事なんじゃない、自分という存在を大事にできるかということが大事なんだと思う。何かに向かい合っていこうとすることは、自分自身を大事にするために進む道だと思う。
 知的障害児に向かい合うときに、問われているのはこちらの知的能力。タイミングの研究、モチベーションの芽の養成や把握、達成感を獲得するためにやるひとつひとつのステップの細かい分解。本人のリアクションに対する細かい分析と対処。
 がんばることもがんばらないことも選択は自分。がんばらせられることは心を死なせる。そういうことが大事なんだと思う。
 がんばろうと思うことをもてるということも大事なこと。だってそれは夢を持って生きるということでもあるんだもの。そしてその気持ちを育てていくことが大事なんだと思う。何かに向かい合おうとするときに大事なのはポジティブな心。
 それと。障害を克服するためにがんばるんじゃない。生きることを楽しむためにがんばるんだと思うし、そういう支援ってヤツをわたしは選びたいと思う。