3月14日「いろんな人といろいろ」で、ngmkzさんにアクションをかける。ぼくのお姉さんをどう思う?と。
出た!という感じで喜んだのがこのエントリ。
ぼくは「他者」につきまとういろんな意味としての「障害」を漂白してから、ぼくは初めてそこで他者に出会いたいんだ。/かへる日記 (FRGFRG304)
ここで書かれたこと、その中の主に「しょうがい」表記に関して反応したのが、昨日gooで更新の『「「しょうがい」に関しての表記もろもろ』。
で、次にこの書籍、6つの短編からなるこの書籍の最後に書かれている「ワシントンポスト・マーチ」について。この短編に関しては、ngmkzさんのところで各所引用があるのでそちらを参考にということで。
この作品集は一編一編の作品の中に、自分の中にあるものをえぐられるものが次々に出てくる。それは簡単には言えないことばかりで、えぐられるものは個々の感想によってちがうのではないかと思う。それはえぐられるものの本質が違うのではなく、えぐられるものが自分の中に出てくるときに、そこに自分が具体的に浮かんでくる映像が違うという感じがする。それは自分の経験の中でそのえぐられてくるものの正体を探そうとするからだと思う。
その正体をさがそうとしているというのがよくわかるngmkzさんのエントリはわたしにはとても興味深かった。正体をさがそうとすると「その先」が見えてくることがある。その、見えてくる「その先」のひとつが、ngmkzさんにとっては文字表記に関しての感覚と、その背景とする自分の意志なんだろうと思う。
さて、ここでわたしは、この「ぼくのお姉さん」という短編集の最後にくる「ワシントンポスト・マーチ」の、この短編集の最後にくるという構成の感想を。ということで、この短編集の順番は以下の通り。
この作品の中で、障害をもつ人間の目で語られているのは「ワシントンポスト・マーチ」のみ。ここでこの作品にわたしはあるひとつの歴史の原点のようなものを思うわけです。そのためにこつこつと集めた資料集が昨日のはてなブックマーク。
キーはここで使ったタグの「光明養護学校」です。光明養護学校とは、日本で最初の養護学校です。日本の障害者運動の原点のような場所とわたしは認識しています。障害当事者として声をあげる方の先達のような方には、この光明養護学校の出身者が多い。
外に出してもらえず、座敷牢のような生活をしていた人が多かった時代において、初めて仲間と出会ったときに、学びながら何を思い何を意志としようとしていったのか。そのことにわたしは非常に興味があったりするわけです。
「ワシントンポスト・マーチ」は、その一端を想像させるような作品だなとわたしは思う。「自分たちがしっかりしなきゃだめなんだ」と心の中で叫ぶ主人公。そしてそうした自分を励ますかのようにワシントンポスト・マーチを心の中で大声で歌う主人公。
この思いと原点を知る、そのときに誰でも知っているといえるワシントンポスト・マーチをひとつのテーマソングとしてもってくる。読んだ人間はこのワシントンポスト・マーチの旋律を思い出しながら、その思いにふれていく。ここで音楽をもってきた作者に対しては「うまい!」という感想をわたしは持ちました。そしてこの、明日に向かっていく可能性を示唆するような作品を、この短編集の最後にもってきたこと。このことも、わたしがこの短編集が大好きな理由のひとつです。