リツエアクベバ

satomies’s diary

↑の追記

 ブクマコメントからあらら、と思った。fuuuuuuunさんごめんなさい。ブクマコメントの引用部見て、わあしまった、と思った。「日本という国」という表現の重複部。本文修正しました。
 あとbobokovさんのコメント。日本語教師ってヤツが、がっちがちの正しい日本語ってのを使うわけじゃないと思うよ。どんなにがっちがちの正しい日本語ってヤツを教室でやっていたって、日常生活の中でいわゆるスラングいっぱい持ってくるし生徒さんは。そのスラングを理解するための例文を作り出して渡せるか、ってのもあった。
 現在の日本語教育界ってのがどうなっているのかわたしは離れた人間なんで疎いですが。あくまでも自分がその中にいたときのこととして。
 良い日本語教師の条件とは。

  • 短時間にどれだけ具体的な例文をどれだけたくさん作って例示できるか。
  • 質問に対してわからないことをわからないと言い、わからないことを調べてくると生徒の前で謙虚に言えるか。

 なんてことだと思う。例文は具体的な例であってそこから学べるわけで、多角的な視点で見られる数々の例文をすぐに出せるかどうかってことは、理解を助ける使用のレベルをあげるということの上で大事であるということで。
 日本語を母語*1として使っているからって、日本語自体を全て知っているわけでもなく、外国語として勉強している人間から聞かれてわからないことはある。そのときに母語として使用していることからくる「感覚的な回答」ってのをやることの危険性ということ。それは自分の主観を渡しているだけという場合があること。感覚的な要素を言語研究という裏付けで見ていかなければならないということ。
 また、教師と生徒が大人同士であるということ。生徒からの信頼というものを得るためには、わからないことをわからないと言えることが大切だということ。もちろん調べてくるという姿勢の上で言える言葉なんですけどね。
 日本語を母語としているからといって、誰でも何も勉強しなくても日本語教師になれるわけではなく、まあそれ相応のお勉強はいるわけで。日本語教育という中で出てくる用語をいくつか出せば。「て形」「い形容詞」「な形容詞」なんて文法用語ですかね。これらは初級レベルの授業で出てくる用語。「て形」は活用の形のひとつ。「待ってください」「雨が降っています」「東京に住んでいます」「使っていいです」「朝起きて、ご飯を食べて、学校に来ました」「甘くておいしい」「彼女は親切できれいです」「仕事が終わってから買い物に行きました」「わたしは大人であの子は子どもだ」などの違いとその使用例とか。「い形容詞」は形容詞、「な形容詞」は形容動詞。形容動詞を「な形容詞」とするのは「名詞プラスな」で同様の働きをするものがあるということが理由。
 この辺の導入部は職場を得るための採用試験でよくモデル授業として使われていました。採用試験ってのは、まあオーディションのような傾向はあったな、という感じです。
 日本語教師は日本語研究オタクになるために、ギャラが参考書購入で飛んでいくという、実に割に合わない仕事ではありましたね。異文化にふれ、また自分のわかっていたはずという概念が次々吹っ飛ぶ体験という意味で、実におもしろい仕事ではありました。

*1:母国語ではなく母語。母国の言葉を自分の母語としているわけではない例があるということ。