リツエアクベバ

satomies’s diary

支援を待つよりまず仲間 

育児の事、「結局カネの話ではないのか」/モジモジ君の日記。みたいな。

 呆然と支援を待っていても、支援はなかなか向こうからはやってこない。福祉ってのもほとんどが「申請主義」、つまり「自分で言わなければ何もない」。「第一義的に親の責任」だからこそ、呆然と待っているのではなくまず動こうよ、と思うんだけど。そして支援支援って待ってたら、まず動く力ってのが養われない気がするんだけど。
 そりゃオメーが行動的だからだろうよ、って言われちゃえば言われちゃうんだけど。でもわたしだって、スタートは日本ダウン症協会への一本の電話だった。生後二ヶ月のとき。こういう行動として早い人もいるしゆっくりの人もいるんだけど、わたしが早かったのは赤ん坊が死にそうだったから。もしかしたら無駄になっちゃうことに手をつけるってことが、赤ん坊が生きるってための願かけだったから。
 たった一本の電話、そこからどさどさと情報が入ってくる。その情報ってのはひとつひとつの情報も重要だけど、一番重要なことってのは「ひとりじゃない、仲間はいっぱいいるよ」ってことなんだよね。
 どんな障害にもどんなマイノリティにも当事者グループってのはいっぱいある。子どもの障害で言えば、医者だの保健所だのに「同じような人に会いたい」って言った一言から始まったって人もいっぱいいる。
 今はインターネットがあるよ。無かった時代から比べれば宝庫のように当事者の情報はある。団体のサイトもあれば、個人のサイトもブログもある、登録ってのをすればmixiのコミュニティもある。それは支援を生み出すスタートでもある。支援が無い無いって言ったって、先達が作った支援は山のようにある。誰かが誰かと出会って、そして誰かが誰かといっしょに動き出すと、地域福祉が動き出す。地域福祉が他の地域にも影響を与えていく。公的な金も動き出す。そういうことを知る、小さな力ってのが動いてきたことを知る。当事者グループを知るってことはそういうことだと思う。
 リンク先ではわたしのコメントが紹介されているけれど。わたしにこの話をした人は、わたしに話をし、そして歩み出して行った。仲間を見つけ、講演を聞き、自分と子どもに合った相談機関を探し出して行った。顔つきも変わった、それは単に支援を待っていたら得られたものだろうか、とも思う。
 参加しなくたっていい、そういう人間がいるってことを知るだけだっていい。そしてそのことの重要性をわかっているからこそ、動いている人間は情報を撒き続けているとも思う。
 たとえばコレ、あんだんて。こういう人がいる、こういう支援がある、そしてそれを生んだ人がいることを知る。そういうことなんじゃないかと思うんだけどな。

子どもが学校へ行けなくなったとき、不安と心配でどうしていいかわからなくなります。家で孤独感にさいなまれて悩んでいる方も多いでしょう。そんなとき、同じ様な思いを経験したわたしたちに話してみてください。まずはほっとしていたけるでしょう。そして子どもとどうかかわり過ごしていくか、学校の先生とどうつながっていくかなど、私たちが自分たちの体験を通して得た具体的なヒントやアドバイスが心強いサポートになると思います。どうぞ気軽に電話をかけてみてください。 
あんだんてとは/不登校をキーワードに子育てを考える親子支援ネットワーク♪あんだんて♪

 ぶどう社って会社もすごいと思う。力になる情報を届け続ける。初版で終わっちまうような本ってのを積み重ねながら、重版の本も増えてきた。それは支えてきた人、この出版社が出版する書籍を必要としてきた人たちって存在は大きいと思う。
 ダウン症なら日本ダウン症協会日本ダウン症ネットワークもあるし、自閉症なら日本自閉症協会もある、ADHDならえじそんくらぶがあるし、先天性心疾患なら全国心臓病の子を守る会がある、知的障害全般なら全日本手をつなぐ育成会もある。そしてそういうでかい組織は書籍の出版にも関わってるし、こうしたでかい組織が支える地域グループはごまんとある。障害ってのがなくたってさ、子育てサークルってのを作ろう作っていく人もいっぱいいる。それはひとりじゃないって力を必要としようしていった動きなんだと思う。自主保育っていうおもしろいことをやっている人たちもいるし、そうした小さな地域のグループがまた手をつないで情報交換なんてことをやってたりもする。支援はいつかぽこっと生まれるもんじゃない、そういう人たちが作り出してきたもので、作り出していく可能性をもっているものなんだと思う。
 フルで働いて、子どもはゼロ歳児から保育園を利用して、って人たちだってさ、保育園の役員ってものがあるよ。わたしは娘が保育園にいたときに、単に順番ってことで市内の保育園の連絡会の役員ってのをやった。周辺の保育園同士が情報を交換しあって、市に必要な申請や陳情を出していく。そこは行政からの支援ってのを生み出す場なんだって実感があった。
 これおかしいよ、あれが欲しいよ。そういうこと、ひとりじゃなくてふたり三人四人五人って増えていくと、それはいつのまにか力になっていき、支援を生み出すきっかけになってく。支援は向こうからは歩いてこないんだよね。向こうから突然降ってわいたように見える支援って、必ず誰かが「それは必要だ」と説得力をもたせた実績ってのがあるんだと思う。
 難しい問題だふむふむ、じゃなくてさ、誰かがちゃんと話を聞いてくれるだけで始まるんだよ。当事者じゃない人間が手渡していける力ってのだって、あると思うよ。まっち〜んとこってのは、それを実証するもう大いばりの一例だと思う。もっと些細な例で言えばさ、ここ最近の知的障害話題に手を付けたぜってヤツ。はてな話題に身投げしちゃったぜ、もう降りよっかな〜って、途中で言ったんだぜわたしは。それをさ、ふむふむ聞いて「いや、もう少し続けてみたら」って言った人間ってのがいたんだぜ。そっかな〜とか思った。これも「当事者じゃない人間が手渡す力」。それ誰?たこぽん。
 わたしは発信をするよ。わたしはここにいるよ、わたしはこう思うよ、って。つまんない話だ個人の話だ、でもたまには聞いてくれる人もいるよ、はてブでぽんぽんって広げていってくれる人もいるよ。たった、たったそれだけのことでもさ、ちゃんと聞いてくれる人がいたらさ、誰かの記憶に引っかかったらさ、いつか何かどこかの機会に誰かに対して、そうかって思ってくれる人もいるよ。そうかって目の前の相手に言ってくれる人もいるよ。小さな支援も動き出すよ。何かがきっと生まれるよ。わたしは、動くよ。