リツエアクベバ

satomies’s diary

感想として

弱者でごめんなさい/呼ばれて振り向くサバイバー

 このエントリを中心として、トラックバック等周囲のエントリに飛ぶ。コメント欄の流れに関心をもつ。
 ここで一応、自分の感想とスタンスなんぞ、記載しておこうと思う。
 まず、自分との関わりの発端は、このエントリからのトラックバック受信。
 まずほえ?と思ったのは、id:kimuchimilkさんの書かれたものよりもわたしが書いたものの方が後になっているように見える印象という書かれ方。まあこれは内容の順序ということで、まいっか〜とも思う。
 しかし、「べき」が入ってきて、そしてそのあたりから「?」マークが出現。いきなり自分よりはるかにでっかい子に理由もわからず蹴っ飛ばされた子の立場ってのはどこにいくんだ?という感じ。
 このあたりに関して、また「障害」という言葉が投げるものということに関しては、「id:i_oritaさんへの書簡。」というMASASCIANTEさんのエントリが、わたしは非常によくわかる。
 そして整理しようとした試みというのがkeya1984さんの「混線」。そうなんだよねえ、なんでこんな風になっちゃうんだろうとも思う。要するに、ご自身が言いたいことを言うことのためのモチーフとして、この辺のここだけみたいなとこでもっていかれて後知らん、みたいな印象は持つ。そしてもっていかれた後の饒舌さというものがあるので「ではここは?ここ薄いように見えるんだけど」と言ってみれば、別のカードが濃く出てきてわからん状態になっていくような。ここは?と聞くことさえ、「わかってくれと要求されるのはうんぬん」という感じになっていくようで、そういうことでもないんじゃないか、とも思う。
 まあ要するに、たたき台か、と。このエントリのこの部分で納得した。

上から見ても、下から見ても、斜めからは見れない/呼ばれて振り向くサバイバー
「わかる気がない」というより、たたき台なので、別に書いた人の意図はできるだけ汲みたいと思っていますが、一番重要というわけではないです。

 大元のこのトラックバックが、ご自身の思われる弱者論ということ単体であればまた別の感想もあっただろうと思うし、自分の結論としてはそう読むことにしようと思うというのが結論。
 で、このトラックバックに関してのううむみたいなものがあって、そこ整理されなきゃ先に進めなかったことがひとつ。kimuchimilkさんからのトラックバック。keya1984さんによってわたしは整理されたので、手をつけていなかったものに反応しようと思う。

私も、まず謝るべきだと思う。/ねこの日々

 このお話に出てくる母親らしき人にわたしは敬意だなあと思う。それは謝罪の言葉以上に「怖かったでしょう」という一言。kimuchimilkさんはそのことにはふれてはいないが、この一言があったかどうかでずいぶんとこの体験をした人の印象は変わっただろうと思う。
 つまり、自分の子どもと接した人の立場がもつ心境に対しての共感をふわっと渡してくれること、これが突然のことに衝撃を受けた人間の気持ちをかなりやわらげるということ。子どもの立場に寄りすぎず、持つべき視点をきちんと持っているお母様だという印象。これは大きい、これは大事だよなあとも思う。障害という線の境に立つような位置として、重要な視点だよなあ、と思う。
 このお話が読めるきっかけは、これまたトラックバック受信をした「喧嘩の行方/晴れの日もある)」。文中で「サトミさん」とあるのに習って、うふふと思いつつレイコさんとして。
 レイコさんはねえ、リンクやトラックバックを通していつもいろんなものをくれる。この話が読めたのもレイコさんのおかげと思う、ありがとうです。