リツエアクベバ

satomies’s diary

子どもの入院

なんかのお祭りだと思ってませんか/塀までひとっとび!

 rimaさんのセンスは好きだ。そしてとてもよくわかる。
 うちのお嬢さんの入院経験は以下の通り、息子は入院経験無し。

  • 生後一ヶ月から7ヶ月間(小児専門病院:NICU+乳児病棟+外科病棟)
  • 2歳のとき、検査入院一週間(小児専門病院:外科病棟)
  • 11歳のとき、肺炎で一週間(総合病院小児病棟)

 半年以上に及ぶ入院は病院に住んでいるかのようなもので。生活空間のような場で、そこに出入りする数日から一週間程度の入院の人間のばたばたを見送る。喜怒哀楽というか怒こそないものの、悲しみ淋しさ忙しさとそして退院の兆し退院と喜びまでの起承転結が非常に早い。そのばたばたと間近でつき合い、そして去るときに長期入院のこちらに対してかわいそうなものを見る目で見つめられたりもする、そしてそれに慣れる。
 しかしたかが7ヶ月。小児専門病院は死と隣り合わせに、数年選手という子どもとその家族がいて。その人たちはいろいろなことを教えてくれる、ありがたかった。
 そんなことを我が身として知っているからか、という感じで、一週間程度の入院はできるだけひっそりと、自分勝手に我がことに騒ぎすぎて周囲に迷惑をかけないように、という感覚が自分にはあるとも思う。
 11歳のときの肺炎での入院は、総合病院の小児病棟。総合病院だからそうそう病院に住んでいるような子はいないだろうとも思うし、実際に同じ病室にはそういう子はいなかった。通常は完全看護だけれど、障害をもつ子については母親泊まりが要求されるという病院で。それでもまあ、娘の場合は病院側の査定というかなんというかチェックというかにどうにかクリアしたようで、泊まりも言われず、6人部屋だった。
 知的障害のレベルはけして軽くはないものの、新しい環境に慣れるのに困難が生じない娘。痛みやしんどさのようなものにも我慢強い娘。生活上のことを覚えたり習得したりすることに前向きで、ひとりでできるもん感覚が好きな個性というものがあって。入院後とっとと24時間点滴の針を固定された腕の使い方やら、ベッド上での机の使い方やらに慣れて、日がな一日絵を描いて過ごす。面会時間の終わる8時には「おやすみ」「ばいばい」とわたしに手を振り、ベッドのカーテンを締める。淋しくなるほどに問題の無い状態。
 それでもストレスフルという感じのことがそれなりにあって。それは7時半頃に子どもが泣くのを泣き叫ぶのを逃げるように帰る母親という毎日の正面のベッド。その延々と泣き叫ぶ声の中で、耳をふさいで体を丸めて耐える娘の姿を見ると、今すぐにでも連れて帰りたいと思ったなあと。
 乳児を置いて幼児の面会に来てるらしいということは、日中の騒々しい面会の話し声で聞こえてきていて推測。ああそれは大変だなあ、ああやって逃げ帰るのも無理はないなあとは思ったものの、せめて一言、周囲の人間に「迷惑をかけるかもしれないが」なんてことがあったならば、これはこれで仕方がないよねえ、なんて思えたんだろうとも思うがそんな挨拶も無く。夜になると時計の針がぴたっと決まったかのように、絶叫を聞き続けるのは心理的にすごくつらい感じがしたことを思い出す。日中その子のベッドを取り巻くまあかわいそうにおおかわいそうにという面会の騒々しさみたいなものが、周囲にしてみればその夜の絶叫に迷惑な感覚がプラスされるような感はあったなとも思う。
 それでも一週間の入院という短さにしてみれば、たかが数日のこと。退院に歓喜しながらばたばたとこの親子は出ていく。たかが数日の生活ではあるのだけれど、隣のベッドの3歳児の子のママが、ちょっと意を決したような感じで、わたしはダウン症の子を知っているとても仲のいい友人の子で、家族ぐるみで自分もその子を我が子のように思っていると。ちぃちゃんを見ていると、こんな風にお姉さんになるのか、あの子もこんな風にお姉さんになっていくのかなんて思ってついつい眺めてしまう。それがじろじろ見ているようで失礼に思われないか気になっていた、ごめんなさい、と。
 ほうほうそれはそれはなどとゆっくり話を聞けば、あらあらあらそれはわたしの友人でもあって、ほうそうかあの子はこんな風に育っているのか、なんぞと思ったり。またさすがに我が子のように思ってるだけあって、話題には事欠かないことの思い出なんぞもあったり。
 なんて感じで、たかだか一週間でもそこは生活の場になり、そしてそこをもっと長い生活の場にしている方は病院にはいらっしゃる。そうした共同生活の場であるなんて視点も、病院やら入院やらってことには必要な視点なんじゃないかとも思う、個室でないのならばとも言えるけれど。
 加えていえば。入院患者を家族にもつ生活というのは、一日がばたばたと忙しかったりもする。病院にいる間には生活に関してのことに手がつけられなかったりもする。そこで見舞いだなんだ、ということが出てくるのはわたしはめんどくさいと思う。子どもの入院の場合は、生活も親、面会中に子どものネガティブな感情の相手をするのも親、面会の相手するのも親、面会のお礼なんぞを考えるのも親、なんてこともあるのだし。
 でも世の中には自分に起きる出来事ってヤツにいっしょにばたばたと関わって欲しい人もいるのだとも思う。だから面会だなんだとやって欲しい人もいるのかもしれないとも思う。rimaさんの「祭りじゃねえんだぞ」に笑って同意しながらも、こんなこと言ってる自分はノリが悪くてつまんね〜女だなあオメーはよーと思われる場合もあるんだろうななんてことを思う。

追記

 娘が入院した小児専門病院は、両親以外の面会は認められていませんでした。祖父母に関しては、両親が面会に来られない場合にのみ認められ、それ以外は窓越しでの面会。また子どもの面会に関してはきょうだい児も含めて、感染予防のために認められていませんでした。
 娘が入院した総合病院の小児病棟は、同様の理由できょうだい児も含めて、子どもの面会は認められていませんでした。