リツエアクベバ

satomies’s diary

正しくない親を許容する困難さ

好きで注意してるんじゃないが、でも彼らからみれば私はただの抑圧者/kmizusawaの日記
「ボク(男の子だった)、ちょっと走るのやめようねー」という感じで話しかけたら、その近くに座って雑誌読んでた女の人が「この子はADHDなんです。じっとしてられないんです。出て行けって言うなら出て行きますけどっ」と憤然として言う。

 id:kmizusawaさんのお仕事上の経験ということが書かれていて、理屈じゃなく、つらかっただろうなあと思うkmizusawaさん。人間の感情ってのをぶつけられるってのは、理屈でどうこうってことじゃなく、きついですよね。どう解釈しても、気持ちに刺さったトゲは残る。
 このADHDのお子さんのお母様、正論で言えば絶対まずいですよ。ADHDの子とその親全般が誤解されかねない。この辺は、コメント欄でid:keya1984さんが書かれた以下の部分がその説明になると思う。

ただ…「親(ことに母親)を追い込むな」というのはわかるんですよ、「どういう躾してるんだ?」ということに関するのですが。先天的な性質なのであって「躾がなってない」わけではないということが多いこと、そこんとこは理解してほしい、という希望はあるんですね。でもそれはやることやってる親が言えることなんであって…ということなんです。ADHDとか高機能自閉症アスペルガーなどは、「どこに障碍があるの?」というのがわかりづらいとか、そういうこともままあります(かなり特徴的な子もいますが)。だから、知らない人がそれと知らず注意する…これはね、いいんですよ、というか、ありがたいことなんですね。ただしその先に、躾がなってないんだ(ことに「母親は何をしてるんだ」)という決め付けだけで追い込んでしまうこともありがちなので、どうかそこはわかってもらえんでしょうか、と。それを言うためには、「この子はADHDなんです。じっとしてられないんです。出て行けって言うなら出て行きますけどっ」なんて態度じゃダメなんですよ。そういうこと、当事者やその親なら、いくらでも味わっているはずなのに、「何か勘違いしてないか?あんたは」と、この親には思います。

 その説明を前提に、と、いうところで、今度は「甘やかし理論」なんですが。このお子さんが幼児であることに着目。言って通るか通らんかを別として、幼児期くらいなんですよね「ADHDなんです、大変なんだよ」と言えるのは。学齢期にコレ言ってこうとすると、まあヤバいと。子ども集団というものがもっとレベルが上がってるので、ADHDを理由に相手の口をふさごうとすると、その刃は子どもに返る場合が出てくること。「オマエ、頭がおかしいんだってな」と、子どもから本人が言われてしまって解決が難しくなった例なんてものが、わたしの頭の中でうろうろしているところがあるわけです。
 と、いうことで、もってくるのはドローターの仮説に関しての図。

保護者の心理/特別支援教育の資料室 

 このお子さんのお母様が、この図のどの段階にいたのか、ということ。そしてこの図における「適応」「再起」に至るまでの時間というものは、相当な個人差があるということなんですよね。
 わたし、勝手な推測なんですけどね。このお母様、雑誌を読みつつも、kmizusawaさんの注意後の行動って、絶対見てたと思うんですよ。なんだかんだ言ったって、kmizusawaさんの行動ってのは許容してくれているのがわかるし、今度来たときにはどうしようと思ってたかなんてことを考えるベースのムードなんてのは、絶対察知してたと思うんですよね。正しくはないのだけれど、それは攻撃的になっていたこのお母様にとって、どんなものだったのだろうかなあ、なんてことは思うわけです。
 正しいわけじゃないけれど、現在のその人にはそれしかできなかったのだ、と。そう思ってくれなんてことを堂々と言っちゃうと、これまたヤバいことになるのでなかなか言えないこと。でも、そういうこともあるんだと思う。そのことが、相手からの不快感を受け取りながらの経験になってしまうとこが、なんともやるせないところではあるんですけどね。