リツエアクベバ

satomies’s diary

勝てるケンカでなくっちゃヤバい

「怒らないとわからない」と彼女は言った/Backlash to 1984
なぜなら、この種の喧嘩は、障碍児の親としては買うべきではないと思うからである。そして、勝ってはいけない…と踏みとどまろうとすると思うからである。もしそこで私が相手の親御さんに勝ってしまえば、相手の親御さんに「障碍者と、その親」のぬぐいがたい嫌悪感を与えてしまう。なるほど勝った私は少しは気が晴れるかもしれないが、それがどれだけ他の同じ立場の親御さんの迷惑になるか。だから、つまり、喧嘩の勝ち負けの話ではないのである。喧嘩の勝ち負けで言うなら、はじめから負けるべき喧嘩なのだ。

 そうです、その通りです。確実に勝てるケンカでなくては勝ってはいけない。ツッコミどころのあるその場の勢いだけで得る「勝ち」は、その後の影響が大変です。単純な例というものを使えばアレです、食用油を台所の流しに流してしまったら、その排水の浄化にはかなりの年数がかかるというアレです。たった一人の意地が、たくさんの人を悲しませることになるんですよね。
 以下、ツッコミどころのあるその場の勢いだけで「勝ち」を得てしまった人が、周囲にその影響をまいてしまったとき、わたしが直接聞いた具体的な言葉です。

  • 特殊学級って、親が特殊だから困るわよね
  • 障害児の親って、親が心に障害をもってるってことなんじゃないの

 な、な、何があったの、と。ああそういうことだったのそれはね、と、懇切丁寧に説明する。この懇切丁寧に説明する立場というものをもてることって、そう簡単なことじゃないんですよね。こうしたことを耳に入れてもヤバくはならない、という信用みたいなものっているんですよね。それはへいこらへいこらして得る立場じゃない。普通のことを普通にこなして、ってとこで得られるものなわけです。そしてこうやって懇切丁寧に説明しても、その説明は上記の言葉より周囲に流れてはくれない。はっきり言ってしまえば、上の言葉がくっついたものの方が人の興味を誘うんですよね。その解説ってものは実はあんまりおもしろくないというか、関心を持つ人が限られるんです。そしてその関心をもつ人ってのは、上記の言葉を流す人より一般的な宣伝力は弱いんですよね。
 だから社会的なコミュニケーションでやってはいけないことはやってはいけない。ツッコミどころがはっきりしているようなことは、やってはいけないんです。それは障害を理由にもってきても許されないんです。いや、理由にもってくることで逆にマイナスの効果が大きくなるんですよね。
 そのかわり。勝てるケンカは勝ちますよ。確実に「勝ち」取りに行きます。ケンカの相手と本当にケンカしなくてはならないものを選びましょう、と、思います。