リツエアクベバ

satomies’s diary

共依存に関しての文章の感想と、まっち〜とにちのさんのこと

DV男にあったら、最初にするべきは、彼を変えることでなく、その男を捨てることです。
DVと共依存の問題/pal-9999の日記

 いやもう、すっきりきっぱりと気持ちいい。そうだそうだと拍手。
 しかしなかなかそうはならない。これは共依存ということに加えて、加害者男性の巧妙さというものもあると思います。
 えっとコレ。

脱出、その後1〜甘すぎた私〜/モラルハラスメントブログ

 この甘ったるい男性は、結婚生活の中で日常的に妻に精神的暴力を続け、自分の好きな車を買ってくれないと駄々をこねて妻の顔を踏み付けてあごをはずし、なんぞということをやっていたわけです。顔を足で踏むんだぜ、顔を。ああそうそう、蹴りってヤツで鼻の骨だって骨折させた。
 共依存というキーはあるかもしれないけれど、それだけじゃないと思う。実際、この甘ったるい時期に、この甘ったるい反省なんぞを聞くってときに、周囲の人間が「良かったじゃない」「やり直せるかも」と言うのをわたしは聞いていたわけで。
 こうした周囲の「平和願望」ってものも影響してしまうのが、まあ怖さといえば怖さとも言えるかもしれないとも思う。そういう意味では、まっち〜のケースでは、けして共依存だけが要因ではなかったとわたしは思う。自分たち夫婦の平和を望む取り巻く人たち、という影響もあると思う。
 もともと被害者になりやすいタイプは自己評価が高くない。それは自分さえ我慢すれば周囲は平和だという感覚を生みやすいとも思う。でも、自己評価が高かったとしても、暴力でおとしめられて力を失った精神は、自分の平和と周囲の平和との天秤が狂ってもおかしくはないと思う。弁護士たてて調停して、あっと驚くような結婚生活をすべてさらけだしたって、調停員は「妻を犠牲にする平和」を提案しちゃったりするわけだからね。
 でもまあその狂った天秤を、まっち〜のケースでは、ダンナ自ら正確な天秤にもっていかせるような行動をなさっていく展開なんですけどね。
 ってことで、以下の記載に賛成の意なんぞ示すわけです。

 ブ熊コメントでも、ちょっと突っ込みいれたんだけど、僕は、この手の「救済者幻想」というか、共依存的な考え方を女性がもつのはリスクが高いと感じているので、あまり良く思っていない。
DVと共依存の問題/pal-9999の日記

 そう、リスクですね、リスク。実際そういう経験をするかどうか以前にリスクがある、ということ。そのリスクが災いするときってのがある。DV男性もモラハラ男性も、そういう行動を起こす前に、ソトモードのときはいわくイタリア男性のような、女落とすうまさってのがあるって要素も無視できないと思う。
 で、この本文にはにちのさんの文章がリンクされているわけで。
 ちょっと話はずれるのかもしれないが、わたしはにちのさんに対して(コイツすげえな)観をもったものってのがありまして。過去ログ掘ってきました、タイトル忘れてたから掘るの大変だった。一覧見てもどれだか思い出せず、結局最後に「酒」で日記内検索。コレだコレ。

 私はこの時点で「強姦される可能性」を考えた。と言うか、多分。その。つもりであったのかもしれない。解らない。考え切れない。酒の飲み比べになった。そう仕向けた。
 三人はテーブルの上で酒瓶を回して当った人が飲むという例のあれをしていた。結局私が七割飲んだ。残り三割を三人が飲んだ。私は、鬼のように酒に強いのでそうした。吐くのはお手の物だ。トイレで吐いて摂取しないようにした。三人は酔いつぶれた。安心した。窒息しないように転がしておいた。
ブルーグレーの空も私は好きです/うどんこ天気

 切り抜けられたことは運も関係していたかもしれないとも思うってのを前提に。何がすごいって、摂食障害であったことを武器にしちゃうとこです。摂食障害だって、自己評価ってことは大きく関わってくる要素のあるものです。それをその経験を武器にしちゃう。「吐くのはお手の物だ」って、すごいよホント、と思う。全ての自分のカードってのは、使いようによって武器になる、ってこと。にちのさんの教え、ってヤツをわたしはこの文章でゲットしたのでした。そしてこの、切り抜け策を考える根底にある「自分を大事にする」ってこと、これも彼女が摂食障害で苦しむ中で勝ち取ってきたものかもしれないな、と思った。