リツエアクベバ

satomies’s diary

ぬはははは、と、ちょっと自分の文章にこっぱずかしがる。

 ああ恥ずかしい。何がって昨日出したヤツ。暴力かどうか、ってとこでまあ反応して書いたわけで。なんで「暴力」に反応したかというと、レイプという言葉を使えないような行為でも、相手の心を踏みにじるような性行為ってのは、ままあるからね、ってことが自分の中にあったと思う。モラハラまっち〜が、ブログ以前に出入りしていた場なんてとこでは、そんな話、山ほどあったし。
 男女の友情、ってヤツ。これは端的に言って、「10年以上続けてみろ」と思う。長続きってのを10年以上のスパンでみれば、やっていいこと悪いこと、なんてのは出てくると思う。性のもつ違い、性的発展の芽を生むなんてことは、相手との関係をぐらつかせる。それは相手との友情ってヤツを結局大事にしていない、ってことにつながる要素はあると思う。それと相手のキャラとのバランス、ってのだってある。これはこういうことはこの相手にはヤバいだろ、ってアンテナも、重要なものだと思う。それは相手を友人として大事にしようと思っているからこそ、出てくるものさし、ってものだとも思う。
 男女の友情、ってヤツ。これを相手が恋愛感情というものをもって友人ラインを踏み越えてきたならば、それはもうあきらめるしかない。友情の片思い、恋愛の片思い。この平行線。ただ女性側から友情の片思い、って場合は、意に添わない性行為を仕掛けられる可能性もあることを、女だったら認識していることは必要だとも思う。
 女の子の思わせぶりな行動にふらふらっとくる場合は、その女の子の同性の友人にそんな彼女の行動なんてのを話してみれば、それがどういう行動なのか、話したときの反応でだいたいわかるようにも思う。恋愛感情が少しもはさまないで出てくる行動ならば、同性の友人が「えっ…」って反応をするんじゃないかと。またはしたり顔で苦笑い、とかね。

「惚れたが悪い」という言葉/Ohno blog

 コメント欄も含め、おもしろかった。ただひとつだけ、異論を感じて追加。

「惚れたが悪い」は、他者からの断罪の言葉ではない。自分の胸のうちで後悔と諦念と自嘲と共に呟かれるものだ。(「惚れたが悪い」という言葉/Ohno blog

 「後悔と諦念と自嘲」だけじゃもったいない。「惚れた」認識と共に自分が踊った心というもの、そのことを切って捨ててしまうのはもったいないように思う。太宰原文は「惚れたが悪い」ではなく、「惚れたが悪いか。」。悪くないよ。その心に芽生えたたくさんのキラキラは自身のもの。そのことって、けっこう大事なんじゃないかと思う。