リツエアクベバ

satomies’s diary

何を考えてたどんなことを考えてたか

 id:b_say_soさんにお礼言ってもらっちゃった。へへへ、とうれしい。ちょっとくすぐったいけど。
 20代のときに、仕事でいわゆる主婦パートってのに指示出すなんてことがあったときに。同僚の友人と言っていたこと「あの人たち、みんなけっこんってやったんだねえ」って。なんかしみじみとそう言ってた。この、自分たちにとってなんだかでかすぎるようなテーマのでかいことを、あの人たちはすでにやったんだなあ、みたいな。で、それが日常になってるんだねえ、みたいな。ひとりひとりにドラマがあるんだろう、あったんだろうな、と思うと、なんかそのドラマに圧倒されるような感じ。
 結婚ってヤツをすることになって、生活する場所から変えるっていうもろもろの雑事、結婚式というイベントで巻き込む他者に関してのいろいろな雑事、双方の親を巻き込むいろいろな雑事。そんな雑事に追いかけ回されながら、ふと浮かぶ不安。自分のプライベート空間の全てに、恋愛感情があるとはいえ、自分以外の人間をず〜〜っと存在させる生活が始まるんだという漠然とした不安。
 式ってヤツは、キリスト教式でやりたくない。なんだかんだなんだかんだたいそうなことを言われて「誓いますか?」って言われたら、お客さん呼んだ場所であるにも関わらず、わたしは大きな声できっぱりと「わかりません」って言ってしまいそうな気がする。だってそんなことわかんないもん。なんてこともあったわけで。鷹揚な恋人に笑顔ではははと許容され、結局選んだのは式場の嘘くさい神殿の前で、神式。
 いわゆるシューキョーってヤツを信じてる友人(♂)に、結婚後その話をした。アンタんちは夫婦共に同じシューキョーってのを信じてるからそんなことは考えなかったんだよね、って。
 はっはっは、と友人(♂)は笑ったわけで。正直だよなあ、と。そんなことわかんないよ、それは当然わかんないって。あのさ、絶対的な約束をしますってことじゃなくて、約束したいって気持ちをもつってことが大事なんだよ、って。わかんないは誰だってわかんないって。そりゃ、それが自分の信じてるシューキョーってのの場でも同じだって。
 お、目から鱗。なんて、いや、そんなことまでどうなのかこうなのか、なんて考えちゃっていたなあ、なんてことを思う。それがもう、はるか20年も前のことになって、思えば遠くにきたもんだ。
 はてなアドレスのリファラたどって、そこからその方のブックマークなんぞたどって、ぽこっと面白い文章に出会う。

☆クソが。愛してるぞ!/アナル処女は守り続けるblog

 いいな、コレ。うんいいなと思う。なんだかんだ個人で色や行動はいろいろ違うけれど、結婚って一大イベントの寸前って、こんなもんだよな、なんてことを思う。最後の「愛してる」がいいよね。