リツエアクベバ

satomies’s diary

今日の小さな「楽しい」

 昨日あげた 自分の「子ども」を楽しむはてブコメント二つ。そのうちのひとつ。

2006年11月11日 mind
 maturing(遊び), キャラクター, reflexive, reasoning(制御実行), 5 自律系(自由), ココロザシ
楽しいこと、にも慣れてしまうのはつまらんな ――守るモノが出来ちゃうと、そう楽しんでばかりも…。楽しむのは守られているものの特権なのかも。さてでは、<「自分自身を守りたい」人は本当の意味で楽しめますか?
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 示唆に富む、というか、いろいろと考える。「そう楽しんでばかりも…」の意味するもの、とか。そういえば結婚して失う趣味や楽しみ、なんて話題があったようななどと思い出す。守る立場、守られている立場、なんてことにも思いを巡らす。
 ダウン症の赤ちゃんのママになったばかりの方、不安と悲しみというスタート色が特に強い方、この層に希望を見いださせるもの、発見を見いださせるもの、というのは、どんな言葉よりも「同様の立場の先輩に見る楽しさの表情」だったりする。以前、赤ちゃんのママが集まる場で、テニスのラケットを抱えて現れた小学生のダウン症児の母親。その日、どんな言葉よりも注目されたのはそのテニスのラケットと、その方の「これからテニスに行くの〜」という言葉とその表情だったなと思う。この方は生まれた赤ちゃんがダウン症児であると宣告を受け、毎日毎日泣き暮らし、ご主人が毎朝出勤するときに幼児だった長女に、ママは今日も泣くと思うからそばにいてやってくれと頼んで出かけていったというエピソードをもつ。テニスラケットをもつ姿からは全く想像ができない。悲嘆の強い方に出会ったときに、この方に「出番です」と頼んだりもしたなあと思う。この方は守られている立場で、そして守っている立場でということか、とか。
 「楽しむ」という言葉のもつもの、その「楽しみ」というものはどんなものか、と考える。「楽しい」という言葉で想像されるものはどこからどこまでどんなことの範囲なのかな、とか。
 なんてことを考えつつ、今日の小さな「楽しい」。夕食の準備、野菜の煮物を作る、こんにゃくの下ごしらえ、なんぞをする。包丁で切るか手綱にするかと思いつつ、結局手でちぎる。手でちぎるのを思いつく下地は映画「ツィゴイネルワイゼン」。絵画のような映像の連続の中、大谷直子がこんにゃくを手でちぎり続ける不思議なシーンがあった。
 検索という手段を手に入れている現在の自分、ツィゴイネルワイゼンを検索。

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ツィゴイネルワイゼン
1980年、東京タワーの駐車場に建てられたドーム型テント・シネマプラセットで上演され、9万6000人という驚異的な動員数を記録したことでも話題となった。

 これは多分映画の上映史上に残るヤツになるぞ、と、うんちくたれる男の子に連れられて出かけていった、このドーム型テント。大人の男性と女性の姿なんぞに圧倒された小娘のわたし。小娘ながら原田芳雄の色気にすっかりやられてしまったような、そんな自分を思い出す。ウェブ上の説明である「東京タワーの駐車場に建てられたドーム型テント・シネマプラセット」。ここにわたしはいたんだもん、なんぞとうふふと思うのが楽しい。9万6000人の中の「1」である自分というものの楽しさ、とか。
 不思議なシーンでもなくこんきゃくをちぎり鍋に入れ煮込み、しっかり味のしみたこんにゃくはうまかった。こんにゃくで思い出して出た検索の旅も楽しかった。週末の夕食はゆっくり飲みつつでそれもまた楽しい。
 9時から土曜ドラマウォーカーズ」を見る、原田芳雄が出てきてうれしい。キーになる役柄になっているのがうれしい。ぱちぱちぱち、と拍手したくなるような感じ、そんな感じをもつのも楽しい。