リツエアクベバ

satomies’s diary

gooのプロフ変更と、今までと、これからと

 数日前に娘の誕生日。で、gooのプロフの年齢の変更。15歳になったか、と思う。学校卒業まであと数年、ってとこに来たな、と思う。
 娘が幼児期に、まあ知的障害児の親が誰でも頭を悩ませる就学先の選択について思い悩む。で、出した結論は「ずっと住む地域を決めて、そこに転居すること」。就学先の選択は意味はあるかもしれないが、学校教育に費やすのは長い人生の中でたったの12年と思ったから。その先の人生の方がずっと長い。障害児は「地域で育つ要素」が強いのだから、地域重視で考えることの方が重要だな、と。
 知的障害児の就学先の選択に正解なんてものは無いよ。理想郷なんてものも無い。その就学先において得られるものと得られないもの。得られないものを家庭でどうやって保障していくか。要するにそういうことなんじゃないかと思う。
 知的障害児の就学先というものは、どこに入れても、何かしらの問題やらなんやらは出現すると思った。そのときに、ここが娘の地域なんだ、ってとこがどばーんと意識の中に存在していたら、なんやら出現した問題に対して、前向きな解決に努力するだろうと思った。だって、そこが地域なんだから、そこに出てくる問題は地域の問題ととらえるだろうし、居住する地域ってのをどんと決めた後なら退路は無い。
 そんな踏ん張り的意識はあったのだけれど、幸いなことに、娘の就学・通学に関しての大きな問題は起きなかった。まあ解決可能な些細な問題はちょこちょこ起きはしたけれどね。最も困った問題ってのは、小学校時代のこと。娘がケガをするような事態を招いておいてろくな報告をせず、しかも嘘を繰り返した教師、なんてのの存在。人手不足なんてのが原因ではなく、交流教育の一環で「一対一対応」が確保されている中で起きた出来事。はっきり言ってふざけんな状態。管理職対応で解決したけれど、これは「ここはウチの地域だぞ」「絶対解決させよう」なんていう底力なんてものはあったと思う。まあ校長室に向かうときに前年の担任に廊下で出くわしたときには、挨拶しただけで不覚にも泣き出してはしまいましたが。抱えた問題に対しての過度の緊張ってのを、自分の感情に思い知らされたような思い出。
 12年のうち残すはあと3年半。この時代に自分ができることは何か、なんてことを誕生日の度に思う。娘の二十歳の誕生日には、思いっきり盛り上がりたい。