リツエアクベバ

satomies’s diary

じいっと見ている話題と、我が身に起きた経験と

 ネットを中心に広がる話題。ここのところ、静かにじいっと見ている話題。

「身銭切れ」心臓移植希望の女児支援HP、中傷相次ぐ/読売新聞

 ああ、ここでも取り上げたな、と思う。

■[WEB][社会]死ぬ死ぬ詐欺/琥珀色の戯言

 ここで、ああこの一行がうれしいなあ、と思うこと、「『子供の病気』というのは、『ある一定の確率で、誰かの元に確実にやってくる不運』なのです。」。そうなんだよね、ある日突然、「あなたです」と回ってくるもの。
 生まれた赤ちゃん、ばたばたと医療に回り「心臓が」と言われたときにくらくらした。ばたばたと頭の中をいろいろなビジョンがよぎる。時々報道で目にしていた心臓移植の募金活動のビジョンも頭の中に行き過ぎた、治療費にいったいいくらくらいかかるんだろう、払いきれる額なんだろうか、でもなんとかしなきゃなんとかしなきゃと、足下がぐらぐらする感じ。産んだばかりのまだまだ落ち着いてはいない心と体。
 状態を説明されたら次に、はいコレ、はいコレと書類を渡されながら育成医療、小児慢性特定疾患など、関係する制度を説明される。要するに「お金の心配はしなくていいんだよ」と。とりあえず、病気のことを理解すればいいのか、と、足下が落ち着いていく感じ。
 状態と、そして根治手術とそのスケジュールの展望など。心臓病のことなど何にも知らず、移植が必要な病気がどんなものかもわからず、そんな中で、娘の症例自体は珍しいものではなく、治すための手術が可能なのだということだけを安堵と共にゆっくりと理解する。
 こんな小さいのに手術をするの、という反応は病院の外。病院の中では「手術ができるの、いいわね」「手術は一回でいいんだ、うらやましい」なんて言葉をかけられることも多かった。病院しか知らない子ども、何度も何度も手術を繰り返さなければならない子ども。この頃出会った子どもたちで、今現在生きているだろうという確信を残念ながら持てない子は多い。ずっと娘の隣のベッドにいた男の子は、娘の入院中に逝ってしまった。
 症例は難しくはないものだが、入院中に肺炎を併発し状態はどんどん悪化。死をちらつかせながら入院は長引く。病室のそばの個室で医師と二人だけの空間。家庭教師に勉強を教わる子どものようにメモ書きや、時には学生が授業を受けるように板書など使われながら、入院中に幾度も幾度も繰り返された説明。出会ってきた他の子どもたちの状態の理解。小児の心臓病に関しての書籍。そんなことの繰り返しの経験から、今じゃ心臓の図と血液の流れを表す図は、フリーハンドでささっと書ける。でも、あの当時はなんもかんもわからず、ただ呆然と事実を手にしているだけだったな、と思う。
 経験と知識の積み重ねは余裕を与え、落ち着きにつながり、そしてその落ち着きは同情を引かない。
 そんなわたしの些細な経験よりも、もっともっとつらい経験をしているだろう人たちが、ずるくなっている暇や余裕はあるんだろうか、と思う。いっぱいいっぱいだよね、と思うな、日々を重ねていくこと、日々ふりかかっていくことを解決していこうとすることに。そしてわたしが経験したように、経験と知識の積み重ねは余裕を与え、落ち着きにつながり、そしてその落ち着きは同情を引かなくなるんだろう。
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死ぬ死ぬ詐欺/partygirlの日記

 変な感想なんだけど、すごいなあ、と思う。すごいなあ、いろいろなことよく知ってるんだなあ、と。わたしは何も知らなかった、自分が初めて生んだ子がなんの心配もいらない健康な子どもだったら、「小児慢性特定疾患」などという言葉、きっと一生知らなかったかもしれない。それは要するに、他人事っていう境界線を無意識に引いていくことなんだろう。
 この一連の話題の中で、トリオ・ジャパンに疑いの目を向けられているらしいことを知る。ふーん、そうなんだ、と思う。トリオ・ジャパンは当事者団体ではなかったのか。当事者団体が、自らの状況を利用してこすい金儲けをしようとしていると思われるのか、と思う。
 わたしはトリオ・ジャパンはレシピエントとして当事者カウンセリング活動をしていた人からその名前と組織を教えられる。トリオジャパンの書籍「トリオ・ジャパン編集 『医師との対話−これからの移植医療を考えるために』」は、わたしにとっては時々取り出して読み返してみたりなんぞする本。移植を必要とする人たちを様々に支えてきた団体だと認識。
 トリオ・ジャパンには、次々と、同様の悩みを持つ人たちの声が押し寄せているのだと思う。募金活動に関して、流れとしてのおおまかなシステム化なんぞもできていると思う。そのことで出てくる半ば流れ作業化していたことの盲点や表に出にくかった疑問点、なんてのもあるだろうなとも思う。ただ、この団体が背負ってきた功績は大きいとも思う。
 お金、ね。お金、か。たとえば娘が一歳になるまでに動いた医療費は、海外での移植に動く金額にはほど遠いけれど、ごく普通の感覚からすればそれは高額。保険診療健康保険組合は7割、育成医療と小児慢性特定疾患治療研究事業という制度利用で個人負担分は助成された。
 医療費以外に必要だったのは入院時の紙オムツ代。その金額には処理代も含まれていて、通常よりかなり割高。あとは退院してから使用を指示された心臓病・腎臓病用低塩分ミルク。病院で購入していたこのミルクも、けっこう割高。そして退院後に必要と言われて買った聴診器、服薬に使う針の無い注射器など。幸運なことに我が家の場合は病院まで近かったのだけれど、遠方から来る人の交通費に関しての愚痴はよく聞いたなと思う。毎日の面会、そこにかかる交通費はバカにはならない。また遠方により家族が近くに宿舎を取って、という場合はさらにかかる金額はかさむと思う。なんといっても大変なのはきょうだい児の問題。小児病院や小児病棟はたいがいにおいて感染防止によりきょうだい児の面会は不可で、面会時間のための保育料、なんてのが発生する場合もある。
 さて娘。生後三ヶ月時に動脈管開存と心室中核欠損症の根治手術を受け、術後3ヶ月間の治療期間を経て退院。その後は経過観察を続けながら普通に生活をし、6年後に自宅を新築。知的能力は重度の判定を受けそれに伴い、医療費は現在全額横浜市から助成を受けている。
 医療費助成、救われた命。「おかげさまで」という言葉に対して、わたしはしみじみとした実感を持つようになったな、と思う。おかげさまで娘はとても元気です。