リツエアクベバ

satomies’s diary

はてなキーワードを作ってみた

はてなダイアリーキーワード「ボランティア保険」

 初めてのことってのは、緊張するもので。コレでいい?コレでいい?などと思いながら作る。今後、編集により、よりわかりやすいものになっていくことに期待。
 作った動機は以下のエントリーへの敬意。

■[NPO]ボランティアを受け入れる側の事情。/TRANS

 ボランティアを受け入れる現場というものが、なぜ「マナーや道徳がなってない人間」の教育係を引き受けなければならないのか、甚だ疑問。ボランティア活動に参加することで得るもの、というのは行動の結果に対してであり、その行動に関してのレディネスが整っていない人が教育的効果を得るために現場があるのではないと思う。あそこに行かせりゃ学ぶだろう、って、そんな簡単なものではないと思うし、そんなイメージで人間送り込まれたら、現場は迷惑だ。
 このエントリーで思ったことは、高齢者が対象であるから説得力があったのではないか、ということ。これが障害者の現場になったら、同じことを言っても、だから障害者は、とか、権利意識がどうだとか、そういう反論が出てくるように思う。でも、ボランティアを受け入れる現場としては同様のことが言えると思う。
 以下、個人的体験。知的障害児の活動にボランティア参加したいと見学者を受け入れる。その方の感想として出てきたのは、活動のメンバーにいた、ある行動障害の傾向の強い子どもに対しての「あんな子」発言の数々。返したのは「あの子はうちの大事な子どもたちの大事な一人ですから」と一言。この方のご希望で一回限りのご縁になりましたが、はっきり言ってこちらからもご縁が無かったものにさせていただきたかった。やってあげる的満足感をこの方が得るレベルを超える子がいたのは、この方にとって想定外だったんだろう。そうした感想をもつのは仕方がない。その方の個人的関係の方にそうした感想を告げられるのも仕方がない。ただそれを「障害」を嫌悪する表情で活動主体者に言ってどうしろっていうんだろう、というのは強く思った。いちいち当然のように同意を求めてくる表情はなかなかに印象的だった、程度のことは言わせてもらいたい。
 教育係、を、させられるのだったら、この子の障害とその特性と理解に関しての説明をめんめんとしなければならないのだろう。あからさまに嫌悪する顔でべらべらとしゃべり続ける人にそこまでのエネルギーを使って説明をしなければならないのだろうか。それをできる人はいるのかもしれない。でも少なくとも未熟者のわたしにはできなかった。人間関係上のその程度のマナーが成立している人とでなければできない対話というものもあると、わたしは思う。