リツエアクベバ

satomies’s diary

あら、ここにも出てきてる

 昨夜、gooにコメント入り、レス入れに行く。本文ではなくコメント欄のコメントの流れに沿ったようなコメント。ってことで、コメント欄の会話を丁寧に再読。あはは、と思う。はてダの2006-09-15更新分に入れた「きれい」に関して、ここにも出てる。

カリカリ、ガンガン、ゲンナリ、ヘナヘナという連打の中にさらされてるだろう「母親」。つまり、奥様ね。
おきれいですよね、すごくきれいな人だと思った、わたし。
自分がどうあるか、ってとこに行き着いたときに、こういう要素を大きい、と思う人も少なくないだろうな、と思った。
「知的障害」と「QOL」と「先端技術」/S嬢のPC日記 )

 子どもの障害との対応に関して、特にその行動に障害が関わってくることに対して「カリカリ、ガンガン、ゲンナリ、ヘナヘナ」って、それはひとつひとつの出来事を具体的に語ったら、けっこうな壮絶さだと思う。それを日々やっている方の外見が醸し出すものが「きれいだ」ってこと。コレ、大きいよ、と思う。
 それと、この、わたしが「きれいだ」と評した女性のご亭主であるネコバスさんが、このことに対してつまらん謙遜なんぞ入れずに「彼女は凄い妻だ」と答える。こういうのもいいな、と思う。きれいにはきれいを裏付けることってあるよな、と思う。
 以前、gooのコメント欄のどっかに書いた記憶があるのだけれど。娘が生まれて、そして入院時代に入っていく。状態は深刻だ、退院は見えない。乳児病棟に入るためには、乳児病棟のドアをあけ、下駄箱で靴を脱ぎ消毒されたスリッパにはきかえ、そこで白い割烹着のような全身を覆う「保護衣」を着る。そこからまた扉をあけ、手を洗いに行く。手を洗い、消毒液を手にふりかける。その一連の動作を行い、それから廊下に進み、そして病室のドアを開ける。病室には保育器の中に眠る赤ん坊の我が子がいて、そこまで来てもまだ、わたしとわたしの赤ん坊の間には保育器が存在し、看護婦の許可が無いと、さわることも抱くこともできなかった状態。
 当時、髪は胸のあたりまであったと思う。保護衣を着るときにぎりぎりと後ろにひとつにまとめる。手を洗う、洗ったときにふと顔をあげて鏡を見る。鏡に映った自分の姿。
 なんじゃこりゃ、と思った。冗談じゃない、と思った。貧相なひっつめ髪の、なんだか不幸そうな女がそこにいたわけで。
 冗談じゃない、冗談じゃない、冗談じゃない、と思った。この状況にこんな似合い過ぎてる外見は許せん、と思った。面会を終えてその日の帰り美容院に飛び込み、その日のうちにショートにして軽くパーマもかける。一見の客の長い髪の束に手をやりながら「いいんですか?」と聞く美容師。ばさばさと落ちていく数十センチの髪の束。仕上がりに微笑む鏡の中の自分の姿に、今日自分が見た不幸の貧相さが消えていることを確認する。
 外見にかける魔法、ってものもあると思う。翌日の面会で、わたしは新しい髪に似合う服を選び、口紅を変える。病院に向かう足取りが変わる。病棟に入った途端に看護婦たちがわたしの外見の変貌にみな歓声をあげ、わたしはうふふと応えながら、またそこで不幸の貧相さを脱ぎ捨てる。10年以上たっても、あの日の自分は鮮明に思い出せるし、必要なことだったと思う。わたしは外見って、大事だと思う。この日から半月ほど後からさらに娘の状態は悪化し、さわることもできない日々に入っていったけれど、衝撃を受けながらも、わたしはうつむくことなく進んでいったと思う。