リツエアクベバ

satomies’s diary

結婚について

 結婚は人生のペアプログラミング/ダイミテイ よりトラックバック受信。9月6日更新分「けっこんのこと」 に追記をつけてトラックバック送信しようと思ったけれど、新エントリで送信しようかな、と。

 結婚ていうのは、ひとりで気ままにやっていた生活のなかに、突然へんな人がいやおうなく入り込んでくるもんなんだ。靴下を脱ぎ散らかしていたのを怒られたり、食器の配置が自分のやり方と違っていたり。そういうものを数えあえていけば受難でしかない。でも人間ってのはそういうのを乗り越えてこそ成長するもんだ。結婚は成長の一過程でもある。
結婚は人生のペアプログラミング/ダイミテイ

 これはわかる。とてもわかる。でもその前提というところで、重大な価値観闘争が夫婦間で起きるか否か、ということは、わたしは大きいと思う。これがこうされたらイヤだ、と。それが他者にとってどんなにくだらんことであっても、当人が自分の生活の中でイヤだと言ったらイヤだ、ってことは、個人の中でもろもろあるものだと思う。それが上手にお互いに妥協できるかどうか、ってことは、大元のところでの価値観闘争が起きないことが重要なんではないかと思う。
 その、重要な価値観闘争、というものは、旅行やなんだかんだで少しはわかるかもしれないが、一応は一生を共にするぞと約束し、家族だの親戚だのひっくるめて自分の環境をそっくり相手と共にするという「結婚」というものをやってみて、はじめてわかること、というものもあると思う。その辺で結婚はいわゆる賭けのようなところもあると思う。
 たとえば、本当にたとえば、なのだけれど。平日の夜、それぞれの日中の生活を終えて、なんだかんだと話したい人間もいれば、ゆったりと相手が「いる」というだけでくつろぎたい人間もいる。そこで双方が「わかってほしい」と言い合ったら、もうどちらが正しいかどうか、なんてことで解決できることではないのだからむちゃくちゃだと思う。そして「結婚」というものが、一応は「一生続くのだ」という約束があるわけだから、そのむちゃくちゃさというものは、一歩間違えば、その人生に閉塞感をもたせていくことなんではないかとも思う。
 わたしがやっている夫婦というヤツは、お互い、その日のうちに大事なことを話さなかったりする。いや、単純に言って、くつろいでいるもんだから忘れちまう。存在だけで満足しちまう。ここでどちらかが、大事なことをすぐに言うのは当然だ、それが愛情なのだと主張したなら、その均衡は崩れるんではないかと思う。わたし自身はそういう価値観の一致がとても心地よいし、相手に愛情を持ち続けていくゆとりにもなっているのだけれど、相手を違えてみれば、わたしたちは二人とも、相手に「冷たい」と言われかねないのかもしれない。
 だから、ペアプログラミングではあるけれど、どちらかが「意に沿わない個の殺し方」をやってしまったらやらせてしまったら、そのペアプログラミングは成立しない。結婚というものが内在している、プラスにもマイナスにも転化するものは、その原点に「生活上の相性」というものがあるのだと思う。