リツエアクベバ

satomies’s diary

人っちゅ〜もの

他者が持つイメージと、一般的な扱われ方

  • 場の責任を背負おうとしてしまう「いい人」→当人の責任ではないことまで押しつけられる危険を内在する
  • 根拠が無いことでも自信満々に見える「生意気そうな人」→虎視眈々と失敗を狙う失敗を望む「観衆」を作りやすい
  • 強者に媚びへつらい弱者に威張り散らす人→陰でネタにされやすく、また本当の信頼を手にすることは困難
  • モノ知らずに見える「頭悪そうな人」→バカにされることが常態にはなりやすいが、なんでも「質問形式」にして会話すると、なんでも教えてもらえる機会に恵まれることが多い
  • たいがいのことにおいてテキトーに逃げを打つのが上手い「無責任な人」→最初からあてにされないので、責任をこうむることも少ない

 まあ、あげようと思えばいろいろとあげていけるのかもしれないが。
 単純に言って、がんばる人ほど重い荷をかかえこみやすく、目立つヤツほど深刻な敵も作りやすく、テキトーに逃げを打つのが常態って人ほど大きな苦労を避けて通れるってことかもしれない。逃げを打つのが常態って人の「トク」に関しては、それを単純に「トク」というか、「つまらんトク」と鼻で笑うかっていうことは、結局はその本人が決めることなんだろう。
 人は人の中で生きていくわけで、自衛も自分に対してのウソも、気づかないうちにたくさんやっていくものなんだと思う。事後、いろんなことが見えてきてから、自分が自分についたウソ、なんてのが発覚することだってたくさんあると思う。
 そうやって、なんだかんだと人の感情と行動とってのは一筋縄じゃいかない。自分にだって自分の心理や思考・言動・行動の全てをコントロールできるわけじゃない。
 そんなぐちゃぐちゃと頭ぶっつけながらやってくってのがいわば「生きる」ってことなわけで、さんざん揺らされながらも人間ってものに最後に残るのは、その人間が感じている「美意識」ってものかもしれないとも思う。
 人の中で人ってのをやっていこうとすれば、日常的な自分への誤魔化しやその場逃れなんてのもあると思う。ただその全てに関して、常識だの通例だの道徳的だのってレベルでのいいとか悪いとかってものさしなんかで判断できない理由は、必ずその人固有に持っているはずなわけで。その理由の根底に、自分の美意識に恥じないところがあるのならば、人間ってのはなんとかやっていけるんじゃないかとも思う。
 「美意識」なんて言葉を使うと、なんだか仰々しいような気もするけど、これは絶対イヤ、これは絶対譲れない、なんてことが、実際に主張できようができまいが人間ってのは持ってるわけで。それはなにをもって美しいとするか、ってことにつながっていくことのような気がするので、「美意識」ってモンなんだろうと思う。