リツエアクベバ

satomies’s diary

どうするどうする

 白痴の親 /セックスなんてくそくらえ
 この文章を読み、またこの文章のはてブコメントを読む。
 この記事とは直接関係無いのだけれど、「白痴」と入力しようとすると「はくち」では出ず、「しろ」「ちほう」なんぞと入れて「呆」を消すわけで。このあたりは次の文章を読むとふむふむってことになるんじゃないかと思う。
2006-06-05 PKキムタク!/雑学アベニュー
 で、話戻って、「白痴の親」の話。読みながら、障害者手帳判定は痴愚かなあ、なんてことを思う。東京都は知的障害者の手帳でトップレベルの「1度」の判定を滅多に出さず、たいがいは最高でも「2度」で、この文章に出てくるお子さんの話を他の記事で読むに東京都の手当の支給なんぞ受け取れるということで「3度」か。「白痴」ではなくて「痴愚」かな、なんて、もう内容と全然関係ないことを思ったりする。ちなみに「白痴・痴愚・魯鈍」というのは、差別用語ということがからまりあって、この分類を知っている知的障害児の親もずいぶん少なくなっただろうと思う(わたしは娘を生むまでは「白痴」しか知らなかった)。
 と、横浜市の判定で、知的障害最重度に位置する娘という「白痴の親」であるわたしは思うわけで。
 いや、こんなことはまったくもってどうでもよく、思いついてしまったことを調べるために過去記事検索した、非常に失礼な閲覧をわたしは謝罪しなければいけないと思う、ごめんなさい。
 しかししかし、この本文中のこの表現は、名文だな、と思う。すごい。

しかし、実際に障害を持つ子供の姿を目の当たりにすることは、夜の暗い湖の水面を、ボートの上から覗き込むような恐ろしさがあるものだった。私は、子供ができて初めて、文学を理解したのだ。

 表現の違いはあれど、この表現に実感という親は多いのではないかと思う。実際、今まで自分が聞いてきた「受容に向かう苦しみ」の表現に対して、いろんな人が訴える不安というものは、こういう表現で言えることができるのだな、と思った。
 オマエはどうか、と言われれば、わたしは子どもの障害の告知を受けたときは、「で、みちアキはどうするの?」のブログタイトルをパクるわけではないけれど、「で、Sはどうするの?」という感じだったなあ、と思う。もうこれは、子どもを生むまでに積み重ねてきた個性ってヤツで、だからどうってことでもない。「で、Sはどうするの?」。
 障害の告知、というものを受けたときは、「命をかけての療養中」だったわけで、どうするもこうするもない。娘はわたしの手を離れて医療のもの。小さな箱の中で昏睡。一日にたった数時間しか会えず、しかも箱の中を眺めるだけだったり、時には病室の外の小窓から遠くのベッドを見つめるだけだったり。大人用のベッドに50センチほどの体が昏睡し、大人用のベッドには各種の管がぐるぐるね。そして時々白衣を着た男性の伝えることを「はあ」だの「はい」だのと、聞くしかできないわけで。
 そりゃもうくやしいくやしい。今でもなんだかんだと資料を集め、なんでもかんでも知りたがるのは、あのときの何もできなかった自分に対してのリベンジだと思う。
 当時のわたしは、この現在のリベンジ行為につながる行動を開始し始めてはいたけれど、いきなり赤ん坊を取り上げられて、一日の中のたった数時間の面会時間以外にはたいして何もすることがない生活の中で、ロトの血を引く勇者としてドラゴンクエストの世界を飛び回ってはいたわけで。逃避行為ではなく、あの勇者として冒険を続けていた日々は、夜の暗い湖に向かって飛びこむような勇気の一端を与えてくれたのではないかと、勝手に認識している現在。
 ついでに言えば、以前、出したこの文章の友人。彼はわたしが「生まれた赤ん坊には障害があった」と言った時点で、即答でこう言った「で、オレはどうすればいいんだ?」。
 「で、Sはどうするの?」「で、オレはどうすればいいんだ?」ってとこ、個性はいろいろ違うけれど、このたった一点の共通項だけでも、まあ、長きに渡って友人をやってきたポイントなんだろうなあと実感する記憶。