リツエアクベバ

satomies’s diary

新聞の読者投稿欄

 6/20日記(中高年のブログ・チャップリン)/他人の不幸は蜜の味
 リンクはするが言及でもなんでもなく、思考の発端。きっかけ、というヤツです。リンクするのは「自分一人で思い出したってことじゃないんだよ」って理由の表明。
 ここで新聞の読者投稿欄、なんてのが出てきていて、ふと思い出したことがあってネットで検索。検索ワードは「森ほのお 朝日新聞」。
 何年くらい前だったかな、ふと読み応えのある投稿がある。そのうち忘れる。またそんな感じのものを読む。ん?このちょっと変わった名前、見たことがあるぞ。そして名前を記憶する。記憶しているとまた出会う。わあ、森さんだ。
 これ、けっこうくり返したような気がするんですよね、スクラップの趣味は無いのでわからないんだけど。内容をはっきり覚えているわけでもないんだけど、名前が出てくると本文につい期待してしまう。何度目だったかなあ、もしかして「誤記憶」なら申し訳ないのだけれど、お子さんに障害があるってことがちらっと出てきて、「おお仲間じゃ〜〜」なんて喜んだ記憶がある。
 今、どうされてるんでしょうね。わたしに読む機会が無いだけで、まだ投稿は続けてらっしゃるのかな、森さん。森さんのブログ、読みたいな。
 さてさて、「森ほのお 朝日新聞」の検索で出ましたよ、森さんに再会。ご本人ではなく引用で出されてますね。
国の無策を景気対策と疑う花粉症患者の視点に立てぬメディアは政治犯罪の共犯
 森ほのおさんですねえ、いらっしゃいましたねえ。一部切り取りでこの方の骨っぽい文章が楽しめないのが残念ですが。
 森ほのお さん、森ほのお さん。
 まあなんですか、他人様のお名前をネット上で連呼してみるのは、実名晒しとかなんとかってことじゃなくて、森さんへの個人的メッセージです。もしもあなたがブログをお持ちなら、わたしは是非、読者になりたい。
 さて、さらに「新聞投稿」について。
 先天性四肢障害児父母の会を作られた方として、また障害をもちながら生きるということと関連したことに大きな功績を残されてきた方として、野辺明子さんという方がいらっしゃるわけで。
 初めての妊娠、そして手に異常がある子が生まれた。このことで不安に苦しむ一人の母親が新聞に投稿を出したこと。これが全ての始まりでした。このエピソードに関しては以下の本に詳細に記述されています。
魔法の手の子どもたち―「先天異常」を生きる
 この本、「障害」ということを超えて、自分というものを受け入れて生きる、ということに対してのメッセージ性が強い良書だと、わたしは認識しています。
 この野辺氏の新聞投稿、このことがいろいろなことに広がっていったこと、そのことの大きさなんてものをわたしは感じるのでした。この方の存在の大きさが広がっていったことはとてもありがたい。以下の書籍も一通の新聞投稿から始まった一人の女性の存在の大きな功績だと思っています。