リツエアクベバ

satomies’s diary

運動会見学

 息子、朝検温、37.5度。セキひどい。食欲無し。
 ううむ。どうする?と話し合い。結局午前中は家でおとなしくして、午後、6年生の演技「組み体操」と競技「騎馬戦」観覧を目的に、見学に行く。養護教諭にお願いして保健室で寝かせてもらい、見たい競技のみ外に出て見学。
 午後、学校の校門をくぐった途端に、いろいろな保護者に声をかけられる。午前中の6年生の徒競走のときに息子がいないことに気づいてくださった人たち。いない、どうしたんだろう、と思っていた、と。不在を認識してもらえる、ということはありがたいねえ。
 保健室に行くと、廊下を通る同じクラスの子達と出会う。事情を話し「来てる」と担任に伝えてくれと頼む。担任が来て「本番に参加できないのは残念だけれど、練習を一生懸命やっていたのを先生は知っているよ」と本人に言う。おお、大事なことを機を逃さずに言ってくれるなあ、と感謝。倒立やバランス、うちでも練習してたもんね。
 6年生の演技の組み体操。演技のタイトルに「ファイナルステージ」とあるのが、ちょっとつらい。本人に説明されながら観覧。幼稚園の年長時の運動会の演技も組み体操だった、なんてことを思い出す。その情景を思い出しながら、大きくなったなあ、と思う。本人は出られないけれど、本人をそばにおきながら本人がいるような錯覚を起こす演技の観覧ってのもまたオツなもんだと思う。あの中にいたら、全体を見る機会は無かっただろう、全体を見る機会をもったってのも、またオツなもんじゃないか、と本人に話しかける。
 午後の演技と競技、6年生以外のものは保健室のベッドから窓越しに見る、保健室のドアから校庭へと、出たり入ったり。幼稚園のときからいっしょの保護者に会い、「ほらほら、なんだかドラマに出てくる病弱な子っていう設定みたいだ」なんてことを話して笑う。そんな軽口をたたきながら、内心思っていたことは(こういう情景をずっと余儀なくされる子どもってのも、存在するんだよな)、ということ。ふと、今まで出会ってきた小児病棟の子どもたち、なんてことを思い出す。
 状態としてはそんなにいい状態じゃなかったけど、やっぱり小学校最後の運動会、行ってよかった。そわそわと時計をながめ、家で落ち着きの無かった午前中。「報告じゃなく、行って、見たい」という希望、もっともだよな、なんてことを思う。こういう参加の仕方ってのも、また参加だろう。ビデオにもカメラにも残らん思い出だけれど、いろいろな形で心には残るんだろう。
 食欲も無いし、まだ熱もちゃんと下がってない。快復するまで休ませる予定、なんてことを担任に話して帰る。