リツエアクベバ

satomies’s diary

「差別」とその周辺

 思考メモ:差別の周辺/あんたジャージでどこ行くの
 リンク先を読み、ふむふむ。差別ってネタよりも思ったこと、「きょうだい」は、こんなとこで口を開いているのか、と。親にはなかなか言えんだろう、ましてや友人に言うのもなかなか難しいだろう、言うこと自体がめんどくさくもなりそうだし、妙に同情されてもつき合いにくいだろうし。
 「差別」ということを考えると、いろんな意味で難しいと思うし、わからないと言えばわからない。やっぱりこれはそれぞれの立場と経験というものが関係してくるのだろうと思う。
 例えば障害を異質や異形ととらえたとき、生理的な違和感ということを感じる人のその感覚の存在というものは避けられないものだと思うし、それは日常的な慣れも関係してくるのだろうとも思う。どういう感覚でも、その感覚自体を「持つ」ということは自由なはず。ただ、そうした要素の感覚が生まれたのなら、それを上手に隠す、ということもまた必要なのかもしれないと思う。相手から与えられる印象をマイナスにとらえる感覚を「被害」と出していけば、それは存在自体を「加害」扱いすることになるのだし、その感覚を表に出したり相手に向けて主張したりすればそれは「加害」になる。
 慣れ、ということで言えば、きょうだいとして育っていても息子は姉の「ツバ」が嫌い。締まりの悪い口からちょっとした拍子にツバが飛べば、大仰に嫌がる。まして他の障害児の「ツバ」なんぞ、彼には耐えられるものではない。その大仰に嫌がる様は、見ていていらっとするから、その時によっては「うるさいなあ」などと息子に言ったりもする。ここでの「差別」はどれか。
 娘の行動には、見ていてなんとなくおかしいものは多い。そのおかしさは笑いを狙うものではなく紛れもなく「天然」で、狙って起こせる笑いじゃない。だからこそ時々、腹を抱えるくらいおかしい。これが時々、息子にはおもしろくないらしい。ちぃちゃんの屁一つで両親はニコニコとウケる、と。でも自分が同じことをやっても笑わない、と。
 ううむ、娘の「屁」は、寸前の真面目な顔とこいた後の「あ、ぷーでた」という妙に驚いたような顔、そしていつも初めてのようにくり返されるその様は何度見てもなんともおかしい。そして実は、こんな「屁をこいた後のリアクション」でさえ、(お、二語文だ…)などといちいち感激なんぞしているのである。人間が簡単に習得していく二語文なんてものの獲得にさえ、この子は10年近くかかったのだから。
 それに比べちまえば、アンタの「屁」は単なる「屁」だ。そしてそうした「天然」に対抗しようとする「ウケ取り」行為は、「笑わせる」がわざとらしくておもしろくないし、なんたって、どんなことやったって「天然」にはかなわない。そんなことを答えると、息子は必ず「差別だ」と言って口をとがらす。不思議だなあと思うのは、いわゆる「ひいき」という言葉がそぐう場でも常に彼が使う言葉は「差別」。まあ、そんな競争意識よりオマエはオマエだろうよ、と思うし、そう伝えるんだけれど、彼は「差別」という言葉をくり返す。
 気分の波、行動の規制によって、間近にいる人間の髪の毛をつかむ子の存在。つかむ、この力はとても強く、一度つかまれると簡単にははずせない。注意してもなかなか修正できない行動で、周囲にいる人間はこの行動から自衛するしかない。この子と関わる機会の多かったわたしは、この子の前ではこの子につかまれにくいように、必ずきちんと髪を結んでいたのだけれど。
 ある日、わたしは機会、という意味で油断し、髪を結んでいなかった。この子は会えばわたしに近寄ってくる。そしてそのときに彼の中で何かあったらしく、不意打ちのような感じでわたしは髪をつかまれた。つかんだ部分から引きむしられないようにわたしは彼の手を押さえ、助けを呼んで上手にその手を放してもらった。でも、ぶちぶちぶちっという音と共に、ばらばらと髪の毛が抜けて落ちた。
 この頃、まだマザコン的要素が強かった息子が、たまたまその場にいた。この子はばらばらと落ちたわたしの髪の毛を見て、「何をするんだ」とその子につかみかかった、今にも殴りそうな勢いで。
 「やめなさい!」と、わたしは声を上げて息子の動きを制する。息子は大きな裏切りにあったような顔でわたしを見て、大声で泣いた。
 「なぜあの子を誰も叱らない。おかあさんの髪の毛はこんなにこんなに抜けちゃったじゃないか!」
 黙って立ちつくすわたし。この子の言うことはまちがっちゃいない。でもね、でもね、怒っただけじゃ解決しないんだよ、あの子のこの行動は。全然通ってくれないんだよ、そのやめさせたいって要求が。
 親もわたしも周囲も、その全然通ってくれない。ということにいつか負けてしまっていたのかもしれない。すぐに通らなくても、やっぱり「やめて」「ダメだ」と、エネルギーを持って言い続けなくちゃならないんだ、そんなことを思った。
 さて、ここでの差別はどこか。これも人によって指摘するポイントは違うんだろうか。とりあえず息子は年齢が上がり、この子の障害を理解するようになり、この子に対して「兄貴ヅラ」をするようになった(ホントは年上なんだけどね)。この子の「髪の毛つかみ行為」はすっかり陰をひそめ出なくなったけれど、その手に近い行動が出ると、この子にかける「ごめんなさいは?」の一言で、息子は納得するようになった、本人がごめんなさいという言葉を言えなくてもね。息子の中で、この子はその障害のレベルにより言葉を持たないってことの理解も進んだようだ。そんな様を見ていると、息子がけしてこの子を嫌っているわけではないことがわかる。だからこそ、あの日泣いて怒って抗議してきたことの「本質」というものをわたしは忘れたくないと思うし、それがあの日の息子に対して応えていくことなんだと思う。
 ちなみにこの子の髪の毛つかみ行動からのよけ方が、娘はすこぶるうまい。すっとよけて「だあめ」ときっぱり言う。この点では、わたしは娘に対して「負け」を認めざるを得ないかもしれない。
 さて、引用。

 思い出してみれば、僕が小学生の頃、同じクラスに知的障害を持った子がいた。何かの催し物で、劇をやることになって、同じグループにその子が加わった。
 僕は、あからさまにその子をいじめたりはしなかったものの、「こいつは使えない」と本心では思っていて、なるべくその子を排除しようと考えていたように思う。
 これは、屁理屈を言えば「極めて平等な、差別のない扱い」だと思う。普通の子と同じ基準で評価しようとしているのだから。でも、大人になった今「それはいかんよなあ」、「悪いことをしたなあ」と思う。

 これは通常学級に知的障害児を「入れっぱなし」のいい例だと思う。同じ集団に入れても同じスタート位置に立ってはいない、ということ。このことを伝えることを避けようとすることが差別の無い社会ということではないと思う。
 わたしが育ったクラスにも、同様の「入れっぱなし」の知的障害児はいたから、この感覚はよくわかる。障害を認めることから避けていたり、ことさらに目立ってしまう障害に対して目を向けることを大人がタブー化してしまっては、起きうる問題を解決できない。
 息子が幼稚園のときに、同じクラスに二人、障害をもつ子がいた。一人は軽度の知的障害と足に障害を持ち、もう一人は先天性の重度の心疾患という内部障害。この二人が存在する状態で、運動会でクラスリレーが行われた。幼稚園の最年長とはいえ、6歳の年長児。この年齢の幼さからか、それとも他の理由なのか、この二人が参加する自分たちのクラスが絶対にビリになる、なんてことを言う子が不思議なくらいいなかった。それはもともと、このクラスに加配の職員が入り、この二人をフォローしていく、ということを、職員が常に子どもたちに話していたからかもしれない。
 3クラスによるクラス対抗で、練習時から本番まで、このクラスは一位か二位をキープしていた。この二人が走ると順位は一気にビリになるのだけれど、その後で必ず盛り返す。誰もこの途中のビリに対して口を開く子がいなかったのは本当に不思議な光景だった。
 この先天性の心疾患を持つ子は、この運動会が「運動会というものに参加した最初で最後の経験」になった、この4ヶ月後に死んでしまったから。誰も責めなかった「ビリ」と、この子の走る姿を、わたしは多分ずっと忘れないと思う。