リツエアクベバ

satomies’s diary

離任式

 去年の離任式で。個人でお花を用意した先生の一人。
 この方、数年前に息子の担任だったんだけど、面談のときになんとなく意を決したような感じで「あのう」と言われたことがあって。
 「ちぃちゃんのこと、聞いていいですか?」と。
 いわゆる教育方針、進路に関しての考え、生活に関してのこと。そして思いがけない一言。
 「わたし、元々、就学前の知的障害児の療育の指導をやっていたんです」
 要は、自分が指導した子どもたちを就学の場に送り出すことを何年かやっていて、「教師になろう」と決心して、再度採用試験等の準備をされたそうで。
 教員として採用されて初年度、配置は通常学級だった、と。「障害児学級にいきたい」と言ったら、その学校の校長に「初年度の人間には担任させられない」と即答で言われたと。声を荒げて言われたそうですわ、「わたしは専門家です」とね。
 で、二年目から数年、障害児学級の担任を経て、うちの小学校に異動。そこで「通常学級担任の経験を積むこと、その経験があなたの志望を必ず生かすことになること」という展開になったようで。
 ってことで、息子の担任。力のあるいい先生でしたね。息子の担任、ということを離れて、まあ、障害関係の話をしたりもした。娘の進路に関しての話は、校内で呼び止められて、「進路決定の意図を聞いてもいいか」なんてこともあった。
 そして去年、異動。希望により養護学校へ。
 離任式でのスピーチ、子どもたちに養護学校というものの存在を話していました。そしてそこに自分は行くのだ、と。その生活が始まっているのだ、と。自分のことを今後思い出してくれることがあったら、養護学校という存在があるのだと、そういうことも思い出して欲しい、と。
 子どもたちにはどんな印象で残ったのかわからないけれど、わたしにとっては思い出の残るスピーチでしたね。
 息子は「みんなはあの先生にもう会えないけど僕は会える」なんてことをエラそうに言ってたので、「いやあの先生が転任した養護とちぃちゃんの養護とは違う学校だ」と答えると、「そんなにたくさん養護学校ってあるんだ…。」と。ははは、足下の理解が意外に手薄ってことに気づかされたわ。