リツエアクベバ

satomies’s diary

旅の同行

 どんなリアクションが返ってくるかな〜、と思って、入ったリアクションに「そうかあ」などと思う。同じ問いに対して学生に答えたなら、表現含めまた違うだろうと思いながら、そのままに受け取る。学生に対するような回答にも興味があるけれど、もらった形に対して「よいなあ」などとも思う。立場を超えた個人での回答のように思うから。
 ネット上の検索において、実名での記載がずらずらと出てくる場合、その実名を使っていくことは、逆に「個人」としての活動ができにくくなるかもしれないな、などと思う。リーガルカウンセラーとして動き、名前と立場というものがある上で「リーガルカウンセリング」について書く、ということと、プロフ非公開で一人の人間の立場として書くということでは、違うものがあると思う。プロフ非公開のブログというのはそういうことなのかな、と。プロフを非公開にする自由さを、自分自身に対しての新たな自由な研鑚の場とする気持ちかな、などと解釈。
 ブログではプロフ非公開。そしてわたしのところでは実名でのコメント。それでもこの実名は、ひとつまた違う趣で受け取っている自分。実名の持つ立場をもっての実名ではなく、わたしが知っている相手ということがわかる、共通認識の「記号」としての名前だと解釈。
 今後、ロムラーとして読者になるかもしれない。またコメントを入れにいくかもしれないし、TB入れていくかもしれない。
 今のところ、ちょっと躊躇し、些細な葛藤を持っていることが一つ。それは「相手、なんて呼ぶんだよ、わたしは」ってこと。二人称としても、三人称としてもね。
 三人称、男性の場合はわたしは「彼」を使うことが多いが、現実的に立場を認識している、そして年齢的にちょびっと「おにいちゃん」の相手に「彼」はなあ…。なんか違う。「彼」が呼ばれ慣れてるのは「先生」だろうと思うが、それは避けたいです、やっぱりね。「彼」は不本意だと思うし、Webの自由さを活用したい。
 って、「」つけながら、結局使ってるのかよ、自分、とツッコミ。
 ついでにいえば、「霞先生」には「先生」使っているが、これはなんというか、自分の中ですでに「愛称」の域。霞先生に三人称で「先生」は使わないなあ、と思う。これはけして敬意をもっていないことではないんだけどね。