20代の一時期、日本語ワードプロセッサ使用のためのインストラクターなんてことをやっていた時期がありまして。パーソナル機が無い時代で、主に対象としていた機械は、一台たしか117万円だったという記憶。
企業に出向くのではなく、「教室の講師」が仕事の中心。「生徒さん」は、就職前のお嬢さんや印刷会社の管理職の女性が大半。
この「生徒さんたち」、並べて教えると、その習得にはっきりと「格差」が出る。あったまわるそ〜〜〜な20代始まってそこそこのお嬢さんが、聡明そうな30代以降の管理職の女性よりもはるかに先に行くんだよね。
聡明そうな30代以降の管理職の女性に対して、何度も何度も出てしまう言葉は「いえ、そうではなく」「ですから」。新しいものに対しての習得に、いちいち自分の感覚に「翻訳」して、理解しようとするのだけれど、それが全然違うわけで。「違う」と言うと、「違うという説明」を素直に聞くのではなく、また、別の形で自分の感覚に「翻訳」する。そんなことをやっているうちに「そのまま受け入れていく年齢層」にはるかに遅れをとっちゃうわけで。そこであせってさらに自分の感覚の「翻訳」に右往左往。
あ〜、これが年齢が上がるってことなんだな、と実感。「素で受け入れること」ができにくくなる。まあ、こうした「自分の中に蓄積されたものにより、充実した判断を下す」ということが、年齢が上がる上で身につける「技術」ではあるのですが、「素で受け入れること」が必要なときは、それが障害となっていくわけで。
こりゃ、年齢を重ねていく上で、こうした現象に対して「自覚が必要なんだな」と強く認識する経験だった。
んで、また職は変わっていくわけで、27のときに、外国人に対して日本語を教育するための資格である「日本語教育能力検定試験」というものを受験。合格率は18%。
合格率を見れば「難しそう」だけれど、あまたの資格試験に比較して、この試験のもつ難易性の度合いに比べて合格率が低い。つまり、「ちゃんと勉強すれば取れる資格」だと思う。実際、同僚たちもころころと落ちたけれど、「試験のための勉強してなかったじゃないか」とヒソカにわたしは思っていた。
敵は「資格試験」ではなく、「試験勉強のために必要な自分の記憶力が落ちている」ということに向かい合うこと。たいがいの人はここの部分から「逃げた」んじゃないかとわたしは思ってる。
27といえば若いけれど、記憶力の低下と向かい合うことが一番の「敵」だったと思う。今日5個覚えれば翌日には3個は忘れている。日本語教育能力検定試験が始まった当時、日本語教師をやっていたのは「インテリ層奥様」が多かったから、ここに向かい合うことが難しかったんじゃないかと思う。5個覚えて翌日には3個忘れていたって、2個覚えているわけだから、2個を積み重ねていけば行く所には行けるはず。そして自分の脳味噌は年を取っていくのだから、「来年があるよ」なんてのは、自分にとっての難易度を高くするだけ、受験は一回のみでパスしたい、って、わたしは思っていたんですよね。はい、一発合格。
当時に比べりゃ、脳味噌はもっと年を取ってる。全てはこの自覚から始まる。この脳味噌の「新しい物に対しての取得能力の低下」に拗ねてたら、その先には行けないって。
*資格情報インデックス:日本語教育能力検定