リツエアクベバ

satomies’s diary

テレビで映画

 観たのは「イナフ」。ポケモン観て、TVチャンピオンをなんとなくつけてて、そのまま始まって、消そうと思ってつりこまれて全部観る。
 なぜ、つりこまれたのか。それはいわゆるDV、ドメスティック・バイオレンスの映画だったのだけれど、前半の導入部の男のセリフが始まるところから、つまり暴力が開始される以前に、「あ、この男、モラだ…」と思ったから。

《公開時コピー》お前を心から愛しているよ。だから、傷つけずにはいられないんだ。
幸せな結婚生活から一転、変貌した夫の暴力から逃れ、逃避行の末、愛する娘のために究極の決断をする女性の姿を描いたサスペンス・ドラマ。

 怖かった。見終わってから、なんだかはらはらと泣けてしまった。夫の家を飛び出してからの夫の行動全てが、まっち〜が経験した日々を思い出させた。彼女は自分のブログに自分の経験を語る。でも、家を脱出してからの地獄の日々に関しては書いていない。まだまだフラッシュバックの危険が高い。あの日々を記載することは閲覧者に対しても危険な行為だと思う。当事者ではないわたしだって、進行形で聞き続けた全ての記憶を呼び戻そうとすると、ある時点からストップがかかる。本当に大変だったのは、脱出してからの日々だった。彼女の「元夫」は、彼女の鼻の骨を骨折させただけじゃ飽きたらず、巧妙にいたぶり、心をずっと殴り続けた。彼女が何をしたというのだろう、彼女はただただ愛されたかっただけだ。
 この映画では、法律は何も解決してくれない。巧妙な夫は警察にまで手を回す。弁護士も「打つ手は無い」と言う。だからこの映画の主人公は自ら戦うことにする。そして決闘し、正当防衛という形で夫を殺して自由を得る。
 この設定、このストーリー、観ている人にとっては非現実的だと思う。上で出したアドレスのユーザーコメントも、みなそれを語る。
 でもね、と思う。確かに設定は非現実的だ。決闘だの殺人だのってのはおかしいよ。でもね、脱出してから立ち向かうには、ここで出てくる決闘と同じくらいの気構えが要る。
 映画の中では、決闘のために格闘のコーチがつく、そして戦うことを教え込んでいく。そのこと自体は非現実的だろう、そう思うだろう。でも、この格闘のコーチがトレーニングしている場面で、わたしはあのまっち〜の地獄の日々の中で、わたしはこれをやった、と思った。彼女が救いを求めて差し出す手をつかみ、あなたが意志を持つならば、立ち上がれ、前を見ろと言い続けた。それは彼女がそう、望んだからだ。
 設定は非現実的でも、描かれるものはけして絵空事では無いと思った。宣伝コピーを体現する男性というのは実在する。でもユーザーコメントはそれが理解できているものは少ない。まだまだ存在しているだろう被害者の女性たちに「がんばれよ」と言いたい。サバイバーのブログは、やっぱり存在の意義が大きい。
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賞賛
「ブログを使った新しい情報コミュニケーション」の一例