リツエアクベバ

satomies’s diary

助成制度の新年度説明会参加

 障害児・者団体に対しての助成の制度のひとつってヤツの説明会に参加。数十名の参加者の中には知った顔がちらほら。みな登録団体の親分として出席してきているわけで。
 そのメンツの1人と終了後、話す。話題は位置検索機に関して、それと別話題もちらほら。位置検索サービスってのの全貌をとらえておきたいっていうのは、こういう会話になるときに「自分とこだけの事情でしか話せない」人間にはなりたくないため。
 ああ、まだるっこしい。話す内容は自分がブログに入れた文章をなぞるようだ。アドレスさえ教えられるんなら、そういう考え方のようなものを前提の上で、会話がその先に行けるのに。
 帰路、ふと思う。こうした障害系人間関係に最初っから「コレです」と出せる特化ブログを作ろうかと。もちろんHNはマトモにね、マトモに。
 しかしそれはそれで、なんかつまらんモノかもしれないなあと。別の立場の人間が出たり入ったりするからおもしろいんであって、壁の中を作ってしまうのもつまらんよなあ、と。
 だ〜い好きな玉井邦夫氏が以前言ってたことにこんなのがあって。これは口頭で聞いたから、ほらコレです、とurlが持ってこられないのが実に残念。

障害を持つ人と持たない人との間は、はっきりとした壁があり、これは事実であり現実。
大事なことは、壁のところまで人を連れてくること。
壁の向こうが見える人を増やすこと。

 どんな見え方だっていいんだと思う。見えれば「存在しない」ことにはならない。障害種別にだって「壁」はある。連れて来るやり方だって、いろいろある。
 簡単に言えば、リエがリエがと連呼してれば、訪問者の一握りか一粒程度でも「リエの世界」をのぞくだろう。ほら、医療ケアを常時必要とする子どもがいる生活ってのの一端がちらっと見える。まっち〜がまっち〜がと連呼してれば、訪問者の一握りか一粒程度でも「まっち〜の世界」をのぞくだろう。ほら、モラハラってのの一端が見える。霞先生が霞先生がと連呼してれば、訪問者の一握りか一粒程度でも「霞先生の世界」をのぞくだろう。ほら、特別支援教育ってものにがんばって向かい合ってる教師の姿が見えるだろう。みんなちゃんと、人間クサイ。それだけじゃない、訪問者が足跡残してくれれば世界はどんどん広がっていく。
 リエんちの生活だって、まっち〜が超えた経験だって、単純に言えば、もともとわたしとの間に「壁」があるようなモンだ。見えた見えたと騒いでいれば、見える人間がわたし以外にだってイモヅル式に出てくるはず。
 ブログ界のスターが動く。えっけん氏が 「興味が無い内容でも読んじゃうぞ」 とブログアドレスをあげてくれる。 LSTY氏が 「S嬢のレビューで読んでみた」と書籍レビューを出す、 読もうが読むまいが、関心持とうが持つまいが、けっこうな人数の人間が、あの書籍の存在だけでも知ったわけだ。あえて狙ったわけではなく、おもしろいと思うことをおもしろがって続けてきた中で、そうやって流れってのがまた生まれていく。
 そうやって自然に騒いで自然にイモヅルってのは、特化ブログってのではできないんだよね。単純に何かを「ねえねえ」言っていくためには、いろんな分野で「お?」と思わせる人材が強い。だからいつだって、いろんなことにちゃんと興味を持っていたい。「お?」と思われなくても、「へ?」でも「ん?」でも、「バカじゃないの」でもなんでもいい。特化された視野の狭い専門意固地になる方が全然ダメ。そしてやっぱり「往来」に「街頭」に、いなきゃダメなんだよね、街はずれの塀の中ではなくてね。
 特化ブログを作ろうとしたら、それはホントに「清書版」みたいな別ブログになってくるわけで、しかも街はずれの塀の中になる可能性は高い。それを自分がおもしろいと思えるかどうかっていうと、わからんなあ。なんかつまらんものだろうなあ。
 結局、「いつかアップした文章なぞりトーク」ってのは多分増えていくんだろう。でも、まあ、それでも勝手に自分の脳内作業だけよりも、公開された場所でのアップによる緊張感とフィードバックの方がでかいから、そうやってやっていくんだろうな。あとは「見つかっちゃったらしょうがないわ、へへへへ」で行くんだろうな。