リツエアクベバ

satomies’s diary

恐怖再び

 昨夜、リエの携帯とメールでしゃべっていて、最後のわたしからの発信は「これから救急で病院に行く」。突然の話題転換、夫の実家から電話があったため。
 舅発熱、40度近い。「明日受診する」という義妹に、「いや、救急も考えよう、病院に電話してごらん」と答える。来てください、とのことで急遽病院に連れていく。夫の帰宅まではあと一時間弱、携帯がつながらない。息子に「起きて待っているように、お父さんにこれこれこうと伝えて」、と言い残して車を出す。リエの「気をつけてね」のメールに送り出される。救急というもの、すぐにイメージできる相手からの一言は大きいよ。
 病院に着く。救急車が入るということで、その到着と診察の間、待たされる。「救急車でくればよかったね、お義父さん」なんぞと言ってみる。「いやいや、近所の手前救急車なんて呼べないよ」なんぞと言うのを聞きつつ、じっと待つ。
 やっと受診。インフルエンザチェック、結果はマイナス。高齢の高熱ということですぐに心電図、胸部レントゲン。いやしのつえの方のどこかで「ろくに検査もできない状態で救急で診察することの困難さ」って内容を書かれていたのを思い出す。夜間救急で、当たり前のようにこうした検査をとんとんと受けられるってことは、本当にありがたいことなんだと思う。まるで日中の診察のようだと思った。結果はどちらも異常なし。
 舅がちょっとした風邪をひくたびに「肺炎になったら怖い怖い」とくり返していた姑を思い出す。おかあさんだいじょうぶよ、レントゲンはきれいだってお医者さんが言ってたわ、と心の中で姑に話す。便利だ、電話もなにもいらずに話せる。
 しかし、日中の診察のよう、なのは、待つ態勢も同じ。診察待ち、検査待ちは病院の廊下のベンチ。きつそうなのが見ていて痛々しい。もとがきちんとした方なので、こんな状況でも、固いベンチにきちんと座ろうとする。亭主なら子どもなら、抱きかかえたりできるのに、と思いつつ、黙って上着を脱いで足もとにかける。舅のマフラーを折り畳んで少しでもクッションになるように背の後ろに置く。
 点滴を受ける。やっとベッドに寝かせられる、と思ったけれど、病院の処置室のベッドは舅にはちょっと「短い」。昭和の始めに生まれた世代には珍しいくらい舅は高身長、180を超える。
 点滴が終わるまでの間、廊下で待つ。狭い処置室にべったりついているよりも、点滴中眠らせたい。すでに日付が変わっている時刻。
 診察している人の家族、若い男性が同様に廊下にいる。医師が出てきてこの男性に話す。受診しているのは妊婦、嘔吐下痢症で状態がひどいらしい、点滴の説明なんぞをしている。第一子の妊娠と、見ているだけですぐにわかる。ああ先生、初めて妻が妊娠しただろう男性にその説明じゃわかりにくいよ、不安を抱えたままうなずくしかない男性を横目でちらっと見ながら、多分理解しにくかっただろう箇所をこれこれこうだからと言ってあげたい気持ちになるが、余計なことをするのもなんだ、と、また下を向いて目をつぶる。
 少しうとうと。点滴終了し、医師の説明を受け、帰路。運転にドキドキする、慎重に慎重に運転する。タクシーが追い越しをかける。ああ、行きたいならばお先にどうぞ、あおられたくないのごめんなさいね。
 朝、平熱、再度受診。今日、再びインフルエンザのチェック、しかしマイナス。状態は落ち着いている。「迅速な処置がよかったんだろう、ありがとう」と夫が言う。ありがとうの一言は、夜間のばたばたの全てが吹っ飛ぶ。
 高齢っていうのはこういうことなんだと思う。これからもきっと起きるだろう。舅本人の不安は計り知れない、本人を動揺させないよう、日常の心境を守りたい。夜間出動はいつでも、と義妹に言い、協力態勢を確認する。わたしの両親に何かあったら、義妹の協力は欠かせない。
 突然のばたばた、恐怖再び。今日は姑の初めての祥月命日。