リツエアクベバ

satomies’s diary

はてブコメントにレス: 昨日書いた文章への補足

はてなブックマーク > S:今日の一言 - 昨日書いた文章への補足
2006年02月23日 tinkoji 『[public]http://d.hatena.ne.jp/woeswar/20050919/p1この記事と合わせて読みました。』
2006年02月23日 lsty 『[本][差別問題][コメントした]タブーとは、ヒューマニズムを起点として差別に反する人によってタブー化されているように感じる。では、ヒューマニズムによらずに差別と戦えるのか。この間から少し考えている。』

 tinkojiさま、興味深いurlのご紹介、ありがとうございました。戦時中の障害者に関しては、脳性麻痺の方の書籍で何度か読みました。徴兵免除された障害者も大変だったみたいですよ。本人もそして家族も「役立たず」を背負うということに対しての弾劾を受けていたようで。家族にいつ殺されるかわからないという思い、とかね。まあ、人間が戦争のための「タマ」として数えられるような時代だったんだろうな、と。
 で、このurlは楽しい思いでも、実は閲覧させていただいたんですよ。わたしね、これに出てくる清水先生、お会いしたことあるんです。娘が2歳前頃だったと思う。ある自治体の障害児学級に関わる教員のための勉強会に、清水先生が講師として呼ばれた。その勉強会終了後に時間取って、さらに清水先生とお話ししたい教員と、そして「親」が何人か参加した。小中学生という学齢児の親が対象だったんですが、わたしは幼児の親だったんだけれど、学齢児の親に引っぱってもらえて、まあ参加させていただけるといういきさつだった。
 この集まり、夜だったんですが、確か6時からってことだったかな。清水先生が勉強会を終えて食事とってからいらっしゃるということで。
 ところが清水先生がいつまでたっても来ない。やっと来たかと思ったら、もうへろへろと酔ってる。なんでも教員の勉強会での教員たちの姿勢と態度が情けなくて、悲しくなっちゃったらしいんです。で、飲んじゃった、と。まあそういう教員が多いということが暗に問題になっていたので、カンフル剤のように清水先生を呼んだってことだったんですけどね。
 中学の障害児学級の生活訓練室、つまり和室の会場で、どかっと座った清水先生は悲しそうに下を向いてぼーっとしてる。ありゃりゃ。ってときに、娘がずずず〜〜っと這っていって、それから座り込んで、ぽいっと靴下を脱いで、清水先生に放った。そうしたら清水先生が、自分も靴下をぽいっと脱いで娘に放った。そして二人で靴下投げ合戦が始まるわけです。
 なんかその、くたびれたオヤジが楽しそうに、のったらくったらしたダウン症の赤ん坊と遊んでいる様がおかしくってね。それから先生、復活して、とても有意義な時間を過ごせたんですよ。娘を傍らにしっかとおいて、まるでその存在を守り神のようにしながらね。味わいのある方でしたね、あの方。

 lstyさま。えっとね、友人のお子さんが大型車に轢かれましてね。頭蓋骨骨折をしつつ、一命をとりとめた。後遺症アリ。このお子さん、横断歩道を「適切な速度」で普通に渡っていました。そして右折車に轢かれた。
 事故時点で、背格好で「小学生」と判断された。しかし実は20代の知的障害者だったわけです。それがわかった途端、運転者は「勝手にこちらに向かって飛び出してきた」と証言を変えました。その後、目撃者の発見により、この証言は崩れていくんですけどね。ちなみに会社からの謝罪はあったが、本人からの謝罪はまだ。
 タブーという視点とはちょっと違うけれど、差別、ヒューマニズム、なんてことをこの事例でふと思う。
 gooで、以前「ぼくのお姉さん」という書籍紹介を出しているんだけれど。この書籍の中の「こおろぎ」というお話、空き地で火事が起きるんですよ。近所で消し止めるんだけれど、誰がやったか、ということになる。当然のように、知的障害児の火遊びとみな決めつけるんですよ。実は決めつけた中の人の娘がやったことなんですけれどね。この父親、あとで、実は娘がやったことだと気づく。「黙ってろ」と言うわけです。まあ、結局はちゃんと謝罪に行くんですけどね。
 これねえ、自分がこの決めつけた父親だったら、きついだろうなあと思いますねえ。誰でもがやっぱり「黙ってろ」とまず思ってしまう、言ってしまうかもしれない、そういう可能性を持っていると思う。もちろんわたしもそうだろうなあとも思うんですよね。保身とヒューマニズムの両立って、難しいだろうなあと。保身のずるさではなく「弱さ」を理解するヒューマニズムってのもあると思うしね。
 でも、悪いことは悪いよね。大型車の件は、現在刑事裁判の公判中です。