昨日あげた「検索しまくり2」で出てきた書籍はコレ。
- 作者: 佐藤幹夫
- 出版社/メーカー: 洋泉社
- 発売日: 2005/03
- メディア: 単行本
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でも、あげちゃったからね、責任を取る形で、この書籍に関して紹介、という挑戦をしてみようと思う。
この書籍で出てくるのは、この書籍に出てくる人の、その人生ひとつひとつの重さだと思う。それが重いからこそ、取り巻く問題に関しての考察に意義が大きくなっているのだと思う。
殺人事件が起きた、この犯人の人生。そして被害者の人生。被害者の身内の人生。と、簡単にあげてしまえば、簡単な推測、なんてことも起きうるかもしれない。でもこの書籍に記載された文章は、その簡単な推測に対して、大幅に上回るものを与えてくる。
この加害者の家族の人生、というものがある。家族を支えた母親が死んだ日から、この家族の困難は始まる。残された家族を支えなければならない父親は、家庭というものを運営することができない。しかしこれは、この父親に通常持ちうる知的能力が欠けているからだということが、息子の犯罪後に判明していく。この父親は実は知的障害者であったという事実は、事件後に判明していくのである。知的障害者であると自覚も判明もしていなかったために福祉の支援も無く、家庭が破綻していったことが明らかになる。
家族を支えていたのは、この家庭の娘にあたる。難病を持病に持ち、苦労して苦労して、運営が困難な家庭を支え続ける。息子の犯罪によって、この家庭がこの彼女1人の困難にかかっていたことが判明し、福祉によって救われ、命が限られている状態の中で、この女性の人生をしあわせに終わらせるための周囲の努力と協力がつながれていく。
加害者であった青年、この青年がこの犯罪を犯したのは何故なのか。自閉症者に対しての教育の盲点がそこには浮かび上がる。この書籍の著者は、かつては知的障害児の教育にあたっていた。その著者でも愕然とするほどの盲点がそこにはある。この著者に対しても、その事実は重くのしかかる。
知的障害者が犯した犯罪を裁く。ここで述べられているのは、その障害により刑を軽減するとかそういったことではない。自閉症者のもつ特徴が捜査の中で無視されていくことで起きていく問題を問いかける。裁判をきちんと本人が受けていくためにも、障害に応じた捜査が必要であることを述べていく。ただ、そのために裁判に時間がかかることを被害者の家族が嘆くことにも著者は思いを馳せる。
著者はこの書籍に出てくる全ての人生に対して、他人事とはとらえず、自分自身を責めながら向かい合う。そしてその目的という「考察」に対して、エネルギーを注ぐ。だからこそ、この本が示唆するものの奧が深いのだと思う。
知的障害者の犯罪にレッテルを貼る、知的障害者の家族がやみくもに怖がる、そうした本になって欲しくはないし、ならないものだとわたし自身はとらえている。少しでも関心を持つ人には、是非読んで欲しい本だと思う。
*参考リンク:自閉症裁判/fatmountの日記〜クウネルヨム